家霊
本文約9,300字 ・ 読了時間 約19分
あらすじ(AIが作成しました)
山の手の坂道にあるどじょう店「いのち」を継いだくめ子は、家業の帳場を守る生活に嫌悪を抱きながらも、母の病を機に店を切り盛りする。ある夜、常連の老人・徳永が執拗にどじょう汁を求める姿に、くめ子は奇妙な「いのちの呼応」を感じ取る。代々、夫の放蕩に耐えながら帳場を支え、自らを慰める存在に出会ってきた女たちの宿命。くめ子は不安と救いの間で揺れながら、店に訪れる青年たちや老人の影を追う。
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山の手の高台で電車の交叉点になっている十字路がある。十字路の間からまた一筋細く岐れ出て下町への谷に向く坂道がある。坂道の途中に八幡宮の境内と向い合って名物のどじょう店がある。拭き磨いた千本格子の真中に入口を開けて古い暖簾が懸けてある。暖簾にはお家流の文字で白く「いのち」と染め出してある。
どじょう、鯰、鼈、河豚、夏はさらし鯨――この種の食品は身体の精分になるということから、昔この店の創始者が素晴らしい思い付きの積りで店名を「いのち」とつけた。その当時はそれも目新らしかったのだろうが、中程の数十年間は極めて凡庸な文字になって誰も興味をひくものはない。ただそれ等の食品に就てこの店は独特な料理方をするのと、値段が廉いのとで客はいつも絶えなかった。
今から四五年まえである。「いのち」という文字には何か不安に対する魅力や虚無から出立する冒険や、黎明に対しての執拗な追求性――こういったものと結び付けて考える浪曼的な時代があった。そこでこの店頭の洗い晒された暖簾の文字も何十年来の煤を払って、界隈の現代青年に何か即興的にもしろ、一つのショックを与えるようになった。彼等は店の前へ来ると、暖簾の文字を眺めて青年風の沈鬱さで言う。
「疲れた。一ついのちでも喰うかな」
すると連れはやや捌けた風で
「逆に喰われるなよ」
互に肩を叩いたりして中へ犇めき入った。
客席は広い一つの座敷である。冷たい籐の畳の上へ細長い板を桝形に敷渡し、これが食台になっている。
客は上へあがって坐ったり、土間の椅子に腰かけたりしたまま、食台で酒食している。客の向っている食品は鍋るいや椀が多い。