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第一章 5万3760校の計画
明治5年、西暦1872年。
政府は、全国に、5万3760校の小学校をつくる、という計画を立てました。
人口およそ600人に、1校の割合です。
ところが、それから3年後の、明治8年。
実際にできていた小学校は、2万4000校あまりでした。
計画の数の、半分にも届きませんでした。
いま、私たちが、当たり前のように通う小学校は、いつ、どうやって、全国にできたのでしょうか。
その答えを、たどっていきます。
使った資料は、文部科学省が公開している、学制百年史と、学制百二十年史のページです。
年や数字は、これらに書かれているものだけを使います。
資料のあいだで食いちがう数字は、使いません。
この本は、小学校の仕組みの歴史の本です。
教育の中身や、考え方の良し悪しの評価は、しません。
いまの教育費の議論も、扱いません。
小学校が、どのように全国に広がっていったのか。
その事実だけを、落ち着いて、たどっていきます。
では、学校の制度が生まれる前の年、明治4年から、見ていきましょう。
第二章 明治4年、文部省ができる
学制百二十年史によれば、明治4年、西暦1871年の7月18日に、文部省が設けられました。
廃藩置県の、4日後のことです。
廃藩置県とは、それまでの藩をなくして、県を置いた改革です。
これは、一般的な説明です。
文部省の役目は、全国の教育に関する事務を、取りまとめることです。
学校を所管する役所として、生まれました。
同じ年の12月には、東京府の6つの小学校が、共立小学校という名前に改められました。
また、12月には、学制取調掛という係の人が、12人任命されました。
欧米の学校制度を手本にして、新しい制度の案をつくるためです。
つまり、全国の学校の制度は、明治4年の、1年足らずのあいだに、準備が進められたことになります。
これは、年月を並べた、筆者の読み取りです。
学制取調掛の12人の、名前や経歴は、この本では述べません。
使った資料に、書かれていないからです。
大切なのは、外国の学校の制度を、手本にしながら、日本の制度をつくろうとしたことです。
第三章 明治5年8月、学制
そして、明治5年、1872年の8月。