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TORENDIA

樹木とその葉

本文約8,100字 ・ 読了時間 約17分

あらすじ(AIが作成しました)

草鞋を愛用する著者が、それを履いて富士の裾野から八ヶ岳周辺、秩父の山間部を巡る十七日間の山旅を綴る。旅先で出会った荒涼とした高原の風景や、厳しい自然の中で土に根ざして生きる村々の人々の営みを描写する。また、古びた村に伝わる落人の伝承や、山国独特の漬物、各地の風土への感慨を交えながら、足の赴くままに自由に歩き、山河を眺め入る旅の情緒と、自らの日常である草鞋の味わいについて記した随筆である。

若山牧水

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私は草鞋を愛する、あの、枯れた藁で、柔かにまた巧みに、作られた草鞋を。

あの草鞋を程よく兩足に穿きしめて大地の上に立つと、急に五軆の締まるのを感ずる。身軆の重みをしつかりと地の上に感じ、其處から發した筋肉の動きがまた實に快く四肢五軆に傳はつてゆくのを覺ゆる。

呼吸は安らかに、やがて手足は順序よく動き出す。そして自分の身軆のために動かされた四邊の空氣が、いかにも心地よく自分の身軆に觸れて來る。

机上の爲事に勞れた時、世間のいざこざの煩はしさに耐へきれなくなつた時、私はよく用もないのに草鞋を穿いて見る。

二三度土を踏みしめてゐると、急に新しい血が身軆に湧いて、其儘玄關を出かけてゆく。實は、さうするまではよそに出懸けてゆくにも億劫なほど、疲れ果てゝゐた時なのである。

そして二里なり三里なりの道をせつせと歩いて來ると、もう玄關口から子供の名を呼び立てるほど元氣になつてゐるのが常だ。

身軆をこゞめて、よく足に合ふ樣に紐の具合を考へながら結ぶ時の新しい草鞋の味も忘れられない。足袋を通してしつくりと足の甲を締めつけるあの心持、立ち上つた時、じんなりと土から受取る時のあの心持。

と同時に、よく自分の足に馴れて來て、穿いてゐるのだかゐないのだか解らぬほどになつた時の古びた草鞋も難有い。實をいふと、さうなつた時が最も足を痛めず、身軆を勞れしめぬ時なのである。

ところが、私はその程度を越すことが屡々ある。いゝ草鞋だ、捨てるのが惜しい、と思ふと、二日も三日も、時とすると四五日にかけて一足の草鞋を穿かうとする。そして間々足を痛める。もうさうなるとよほどよく出來たものでも、何處にか破れが出來てゐるのだ。從つて足に無理がゆくのである。

さうなつた草鞋を捨てる時がまたあはれである。いかにも此處まで道づれになつて來た友人にでも別れる樣なうら淋しい離別の心が湧く。

『では、左樣なら!』

よくさう聲に出して言ひながら私はその古草鞋を道ばたの草むらの中に捨てる。獨り旅の時はことにさうである。

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