備忘録
本文約18,300字 ・ 読了時間 約37分
あらすじ(AIが作成しました)
著者自身の日常生活や自然観察、さらに猫の習性から着想を得た科学的考察を綴る随筆集。夏目漱石の『修善寺日記』と正岡子規の『仰臥漫録』に共通する純真な叙述への感銘を記すほか、夏の季節がもたらす身体的感覚や、猫が風呂場で示す奇妙な動作を起点に、生物の進化や生命の本質といった物理学的視点からの空想を広げる。日常の些事の中に潜む深い洞察と、探求心に満ちた独自の思索を収める。
リクエストが集まると、作家に音声化の需要が伝わります。
💰 この本を応援する(投げ銭)
仰臥漫録
何度読んでもおもしろく、読めば読むほどおもしろさのしみ出して来るものは夏目先生の「修善寺日記」と子規の「仰臥漫録」とである。いかなる戯曲や小説にも到底見いだされないおもしろみがある。なぜこれほどおもしろいのかよくわからないがただどちらもあらゆる創作の中で最も作為の跡の少ないものであって、こだわりのない叙述の奥に隠れた純真なものがあらゆる批判や估価を超越して直接に人を動かすのではないかと思う。そしてそれは死生の境に出入する大患と、なんらかの点において非凡な人間との偶然な結合によってのみ始めて生じうる文辞の宝玉であるからであろう。
岩波文庫の「仰臥漫録」を夏服のかくしに入れてある。電車の中でも時々読む。腰かけられない時は立ったままで読む。これを読んでいると暑さを忘れ距離を忘れる事ができる。
「朝 ヌク飯三ワン 佃煮 梅干 牛乳一合ココア入リ[#「ココア入リ」は本文より小さいサイズの文字] 菓子パン 塩センベイ……」こういう記事が毎日毎日繰り返される。それが少しもむだにもうるさくも感ぜられない。読んでいる自分はそのたびごとに一つ一つの新しき朝を体験し、ヌク飯のヌクミとその香を実感する。そして著者とともに貴重な残り少ない生の一日一日を迎えるのである。牛乳一合がココア入りであるか紅茶入りであるかが重大な問題である。それは政友会が内閣をとるか憲政会が内閣をとるかよりははるかに重大な問題である。
昼飯に食った「サシミノ残リ」を晩飯に食ったという記事がしばしば繰り返されている。この残りの刺身の幾片かのイメージがこの詩人の午後の半日の精神生活の上に投げた影はわれわれがその文字の表面から軽々に読過するほどに希薄なものではなく、卑近なものでもなかったであろう。
この病詩人を慰めるためにいろいろのものを贈って来ていた人々の心持ちの中にもさまざまな複雑な心理が読み取られる。頭の鋭い子規はそれに無感覚ではなかったろう。しかし子規は習慣の力でいろいろの人からいろいろのものをもらうのをあたかも当然の権利ででもあるかのようにきわめて事務的に記載している。この事務的散文的記事の紙背には涙がある。