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TORENDIA

映画の世界像

本文約6,500字 ・ 読了時間 約13分

あらすじ(AIが作成しました)

映画のスクリーンに映る光と影の世界と現実世界との本質的な差異を考察する論考。人間が抱く物理的力学的な世界像の構成要素である質量、空間、時間が、映画においていかに代表され、また変容させられているかを分析する。特に、映写速度の変化による時間の操作や、二次元平面への投影による空間の特異性を詳述し、それらがもたらす映画特有の驚異と、未来の可能性について検討し、その構造的な分析を綴る。

寺田寅彦

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映画のスクリーンの平面の上に写し出される光と影の世界は現実のわれらの世界とは非常にかけはなれた特異なものであって両者の間の肖似はむしろきわめてわずかなものである。それにもかかわらずわれわれは習慣によって養われた驚くべき想像力の活動によって、このわずかな肖似の点を土台にして、かなりまで実在の世界に近い映画の世界を築き上げる。そうして、いつのまにか映画と実際との二つの世界の間を遠く隔てる本質的な差違を忘れてしまっているのである。あらゆる映画の驚異はここに根ざしこの虚につけ込むものである。従って未来の映画のあらゆる可能性もまたこの根本的な差違の分析によって検討されるであろうと思う。

それにはまず物理的力学的な世界像を構成する要素が映画の上にいかなる形で代表されているかを考えてみるのが一つの仕事である。

映画の観客は必ずしも学問としての物理学を学んではいない。しかしすべての人間は、皆無意識に物理的力学的に世界像を把握する事を知っている。すなわちまず三次元の空間の幾何学に一次元の時間を加えた運動学的の世界を構成し、さらにこれに質量あるいは力の観念を付加した力学的の世界像を構成し、そうして日常の生活をこれによって規定していることは事実である。もしも、これがなかったら、われわれは食膳に向かって箸を取り上げることもできないであろうし、門の敷居をまたぐこともできないであろう。

空間の概略な計測には必ずしもメートル尺はいらない。人間の身体各部が最初の格好な物さしである。手の届かぬ距離の計測には両眼の距離が基線となって無意識の間に巧妙な測量術が行なわれる。時間の測定には必ずしも時計はいらない。短い時間には脈搏が尺度になり、もう少し長い時間の経過は腹の減り方や眠けの催しが知らせる。地下の坑道にいて日月星辰は見えなくてもこれでいくぶんの見当はわかるであろう。質量と力の計測にも必ずしも秤はいらない。われわれの筋肉の緊張感覚がそれに役立つ。

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