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TORENDIA

春の夜は

本文約1,100字 ・ 読了時間 約3分

あらすじ(AIが作成しました)

丸の内の裏通りや電車、路傍の馬車など、春の夜に触れる日常の風景や断片的な空想を綴る。懐中時計の針が狂う不思議な体験や、他者の些細な動作、耳の根の汚れといった微細な観察を通して、作者が夜の気配の中に感じる独特の感覚を描き出す。現実の情景と幻想的な思考が交錯する中で、春の夜特有の暖かさや奇妙な時間の経過、そして夜という空間に漂う人々の様々な営みを連ねた短編である。

芥川龍之介

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🎧 春の夜は / 朗読音声: VOICEVOX:波音リツ

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一

僕はコンクリイトの建物の並んだ丸の内の裏通りを歩いてゐた。すると何かを感じた。何か、?――ではない。野菜サラドのである。僕はあたりを見まはした。が、アスフアルトの往来には[#「往来には」は底本では「住来には」]五味箱一つ見えなかつた。それは又如何にも春の夜らしかつた。

二

U――「君は夜は怖くはないかね?」

僕――「格別怖いと思つたことはない。」

U――「僕は怖いんだよ。何だか大きい消しゴムでも噛んでゐるやうな気がするからね。」

これも、――このUの言葉もやはり如何にも春の夜らしかつた。

三

僕は支那の少女が一人、電車に乗るのを眺めてゐた。それは季節を破壊する電燈の光の下だつたにもせよ、実際春の夜に違ひなかつた。少女は僕に後ろを向け、電車のステツプに足をかけようとした。僕は巻煙草を銜へたまま、ふとこの少女の耳の根に垢の残つてゐるのを発見した。その又垢は垢と云ふよりも「よごれ」と云ふのに近いものだつた。僕は電車の走つて行つた後もこの耳の根に残つた垢に何か暖さを感じてゐた。

四

或春の夜、僕は路ばたに立ち止つた馬車の側を通りかかつた。馬はほつそりした白馬だつた。僕はそこを通りながら、ちよつとこの馬の頸すぢに手を触れて見たい誘惑を感じた。

五

これも或春の夜のことである。僕は往来を歩きながら、鮫の卵を食ひたいと思ひ出した。

六

春の夜の空想。――いつかカツフエ・プランタンの窓は広い牧場に開いてゐる。その又牧場のまん中には丸焼きにしたが一羽、首を垂れて何か考へてゐる。……

七

春の夜の言葉。――「やすちやんが青いうんこをしました。」

八

或三月の夜、僕はペンを休めた時、ふとニツケルの懐中時計の進んでゐるのを発見した。隣室の掛け時計は十時を打つてゐる。が、懐中時計は十時半になつてゐる。僕は懐中時計を置き火燵の上に置き、丁寧に針を十時へ戻した。それから又ペンを動かし出した。時間と云ふものはかう云ふ時ほど、存外急に過ぎることはない。掛け時計は今度は十一時を打つた。僕はペンを持つたまま、懐中時計へ目をやると、――今度は不思議にも十二時になつてゐた。懐中時計は暖まると、針を早くまはすのかしら?

九

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