写生紀行
本文約15,700字 ・ 読了時間 約32分
あらすじ(AIが作成しました)
油絵の稽古を始めた著者が、戸外へと足を運び庭や郊外の風景を写生する様子を綴る。病気療養を経て、大宮や成増の周辺を訪れた著者は、小春日和の光が照らす風景の色彩や、道中で目にする人々の営みに心を動かされる。季節の移ろいとともに変化する自然の表情を画布に収めようと試行錯誤する中で、著者は日常の中に息づく美を見出し、田園の情景に心癒やされる写生行の体験と、その折々の感慨を克明に描く。
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去年の春から油絵の稽古を始めた。冬初めごろまでに小さなスケッチ板へ二三十枚、六号ないし八号の画布へ数枚をかいた。寒い間は休んでことし若葉の出るころからこの秋までに十五六枚か、事によると二十枚ほどの画布を塗りつぶした。これらのものの大部分はみんなうちの庭や建物の一部を写生したものである。
静物もかかないわけではなかった。しかし花を生けて写生しようと思うとすぐにしおれたり、またこれに反して勢いのいいのは日ごとの変化があまりにはげしくて未熟なものの手に合わなかった。壺やりんごもおもしろくない事はないが、せっかく「生きた自然」の草木が美しく、それに戸外が寒くなくていい時候に、室内の「死んだ自然」と首っ引きをするのももったいないような気がした。静物ないし自画像などは寒い時のために保留するというような気もあって、暖かいうちはなるべく題材を戸外に求める事に自然となってしまった。もっとも戸外と言ってもただ庭をあちらから見たりこちらから見たり、あるいは二階か近所の屋根や木のこずえを見たところなど、もしこれがほんとうの画家ならば始めからてんで相手にしないようなものを、無理に拾い出し、切り取っては画布に塗り込むのであった。それだから、どの絵にもどの絵にも同じ四つ目垣のどこかの部分が顔を出していたり、同し屋根がどこかに出っ張ったりしている事になるのは免れ難い。
それでも私にとってはやはりおもしろくない事はなかった。たとえば四つ目垣でも屋根でも芙蓉でも鶏頭でも、いまだかつてこれでやや満足だと思うようにかけた事は一度もないのだから、いくらかいてもそれはいつでも新しく、いつでもちがった垣根や草木である。おそらく一生かいていてもこれらの「物」に飽きるような事はあるまいと思う。かく事には時々飽きはしても。