「建設の明暗」の印象
本文約1,900字 ・ 読了時間 約4分
あらすじ(AIが作成しました)
南部鉄瓶工の親方・新耕堂久作は、鉄の配給統制により職人としての矜持と生活の困窮の間で苦悩する。妻・友代や仲間の説得を経て軍需工場へ入る覚悟を決めるまでの夫婦の葛藤と心情の変化を描き、あわせて新築地で上演された舞台における登場人物の造形や、作者の描く能動的な女性像が観衆に与える現実的な響きと芸術的課題について論じる。
💰 この本を応援する(投げ銭)
新築地の「建設の明暗」はきっと誰にとっても終りまですらりと観られた芝居であったろうと思う。
廃れてゆく南部鉄瓶工の名人肌の親方新耕堂久作が、古風な職人気質の愛着と意地とをこれまで自分の命をうちこんで来た鉄瓶作りに傾けて、鉄の配給統制で材料もなくなり日々の生活に窮しつつ猶組合の工場へ入って一人の労働者として働くことを肯じがたい心持の失望と苦悩、そういう久作の昔気質の職人肌なものの考えかたは女房友代への態度にも発揮されて最後にその久作も情勢の圧力と妻の情愛、仲間たちのさしのばす手、情理をわきまえた理事長の説得などによって今は軍需品をつくっている工場へ入る覚悟がきまる迄、友代との間に、夫婦の苦しい心持の離反としてあらわれる。そこには頑固親父のために心ならずわかれている素一とゆり子との心持もからみあいつつすべての個人生活の懊悩も経済上の逼迫も、その組合の工場で稼ぐことで解決の方向におかれたことが物語られているのである。
薄田研二の久作は、久作という人物の切ない気質をよく描き出して演じていた。無口で、激情的で、うつりゆく時世を犇々と肌身にこたえさせつつギリギリのところまで鉄瓶を握りしめている心持が肯ける。久作という人物は、しかしあの舞台では本間教子の友代の、厚みと暖かさと活気にみちた自然な好技に、何とよく扶けられ、抱かれていることだろう。ごく曲線的な薄田の演技は、本間教子のどちらかというと直線的なしかも十分ふくらみのあるつよい芸と調和して生かされているので、友代が、あれだけの真情を流露させる力をもたなかったら、おそらくあの芝居全体が、ひどくこしらえもののようにあらわれ、久作の存在も独り角力に終ったろう。友代の方言がうまいというばかりでなく心もちのニュアンスをつたえる表現としてこなされていたのは心持よいことであった。
そして、友代の成功であの芝居が真情的なものに貫かれていたとも云えそうなところに脚本としていろいろ興味ある問題がひそんでいるのではないだろうか。