商売は道によってかしこし
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あらすじ(AIが作成しました)
出版企業における利益追求が文学に与える影響を論じる。大正期以降、純文学と大衆文学に分裂した日本の出版界は、戦争期に宣伝機関として動員された。戦後もなお、営利目的の出版業者や映画会社が人々の心理を扇情してエロティシズムを煽っている現状を批判する。著者は、真の大衆性は民衆の生活と歴史の価値を理解することにあると説き、商業主義的な文学の在り方に警鐘を鳴らす。
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商売は道によってかしこし。こういう言葉がある。さすが専門にそれを研究しているものは見事なものだ、という意味もいくらかふくまれているだろう。しかし、この言葉が云われるとき人々はその口辺に一寸薄笑いを浮べる。からくりはお手のものというわかり合いが互の間にとりかわされるのが普通だからである。
小説のことに関して、こんな話し出しかたは奇妙のようにも見える。けれども、出版という企業がはっきり、利益を目当としたものとして行われている今日の社会では、出版企業につながる文学行動の一つのあらわれとしての小説にも、商売的いきさつは、かかわって来ざるを得ない。原稿が売れないで結構と考えている作家は一人もいない。買い手がなくても結構と云って書籍を出版し、雑誌の編集をしている人は一人もいない。その間に、競争がある。その競争に勝って一つでも一冊でも多く売れることが、利益を増すことであり、利益を増すような作家が要求されて来るのである。
日本で大正頃から出版企業が膨脹したにつれて、文学・小説の創作水準に分裂がおこった。一方には、日本の全人口からみれば少い一部の文学好きの人々、教養の深い人々のために、純文学作品の発表・出版があり、一方では、より多くの大衆が、労働から解放されたときの気まぎらしのため、昔の庶民が寄席をたのしんだように、ごろりと寝ころがってすごす時間に読ませて儲けるようにと、いわゆる大衆小説が存在するようになった。同じウナギで儲けるにしろ、一方に大名式の「小松」というような店があり、一方に養殖ウナギのくさいのを「大衆的」にたべさせて儲けるニコウがあったのと同じようなものであった。