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TORENDIA

階級闘争の彼方へ

本文約5,300字 ・ 読了時間 約11分

あらすじ(AIが作成しました)

人類が連帯して文化主義的な生活を建設し、階級思想を一掃することこそが人生の理想であると論じる。現代社会における資本家と労働者の階級闘争は、単なる賃金引き上げ要求に留まる限り、真の解放には繋がらないと指摘。労働者が生産の利潤を公平に分配する権利を求め、さらには資本主義の制度そのものを克服し、全人類が等しく労作を分担する文化的な社会を目指すべきだと主張する。

与謝野晶子

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🎧 階級闘争の彼方へ / 朗読音声: VOICEVOX:雨晴はう

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人類が連帯責任の中に協力して文化主義の生活を建設し、その生活の福祉に均霑することが、人生の最高唯一の理想であると私は信じています。文化生活が或程度の成熟期に入れば、そこには個人の能力に適する正当な社会的分業の生活があるばかりで、只今のように、同じ人類の内に甲と乙とで利害を異にし、甲の幸福のためには乙の幸福を犠牲とせねばならず、従って甲と乙とはその境遇に由って人格価値に優劣を分ち、生活の機会と享楽とに差等を生じる、いわゆる階級思想の如きものは、全く一掃されてしまうでしょう。

正当な社会的分業ということは、一切の人類が心的及び体的の実力を以て、文化生活の維持と増進とに必要な労作を分担することです。この労作には精神的のものもあり、物質的のものもありますが、前者が高等な労作であり、後者が劣等な労作であるという差別はありません。私は文化生活に役立つ上において等しく相対的の価値を持っているものであると考えます。自己の能力に応じ、自ら認めて受持つ所の分業ですから、何人もその分業に特権を要求する者もなく、また役不足をいう者もありません。これまでは経済的労作を以て精神的労作よりも劣ったもの、もしくは第二次的のものとし、あるいは前者は後者の生活の手段であるという風に卑下して考えていました。私はこの労作のいずれかの一方を欠いた文化生活というものが成立しようとは思いません。文化生活の内容は当然この二つの労作を要素としているものです。二つながら手段でなくて目的です。

文化主義の生活を実現する社会には、一人としてこの労作の義務を負担しないものはありません。この義務を生存の権利として要求します。何人からも強いられず、何人にも強いず、各自が自発的に権利として要求する所の社会的奉仕です。かくする事に由って、人は互に自己の個人的存在の理由を充実し、生き甲斐のある人生を享楽するのです。

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