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TORENDIA

念仁波念遠入礼帖

本文約820字 ・ 読了時間 約2分

あらすじ(AIが作成しました)

燕雀生が文芸春秋に寄せた「泥古残念帖」に見られる誤解に対し、大鵬生が訂正を求める論考を収める。春台の語源、才人の定義、佐藤春夫に関する記述、門下の用法といった四つの点を取り上げ、典拠を基にその誤りを指摘する。誤った情報が読者に与える影響を危惧し、念には念を入れて正当な解釈を提示することで、文学的な議論の正確さを保とうと試みる一文である。

芥川龍之介

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燕雀生といふ人、「文芸春秋」三月号に泥古残念帖と言ふものを寄せたり。この帖を見るに我等の首肯し難き事二三あれば、左にその二三を記し、燕雀生の下問を仰がん。

(一)春台の語、老子に出でたりとは聞えたり。老子に「衆人熙々。如享太牢。如登春台」とあるは疑ひなし。然れども春台を「天子が侍姫に戯るる処」とするは何の出典に依るか。愚考によれば春台は礼部の異名なり。礼部は春台の外にも容台とも言ひ、南省とも言ひ、礼とも言ふ。春の字がついたとて、いつも女に関係ありとは限らず。宋の画苑に春宮秘戯図ある故、枕草紙を春宮とも言へど、春宮は元来東宮のことなり。

(二)才人を女官の名とするも聞えたり。才人の官、晉の武帝に創り、宋時に至つて尚之を沿用す。然れども才子を才人と称しても差支へなきは勿論なり。辞源にも「有才之人曰才人。猶言才子」とあるを見て知るべし。燕雀生は必しも才人と言つてはならぬと言はず、しかしならぬと言はぬうちにもならぬらしき口吻あれば、下問を仰ぐこと上の如し。

(三)佐藤春夫、「キイツの艶書の競売に附せらるる日」と題する詩を賦したりとは聞えず。賦すとは其事を陳ずるなり。転じて只詩を作るに用ふ。然れども、キイツ云々の詩はオスカア・ワイルドの作なれば、佐藤春夫の賦す筈なし。それを賦したと言はれては、佐藤春夫も迷惑ならん。賦すに訳すの意ありや否や、あらば叩頭百拝すべし。

(四)門下を食客の意とは聞えたり。平原君に食客門下多かりし事、史記にあるは言ふを待たず。然れども後漢書承宮伝に「過徐盛慮聴経遂請留門下」とあり。門弟子の意なるは勿論なり。然らば誰それの門下を以て居るも差支へなき筈にあらずや。「青雲の志ある者の軽々しく口にすべき語にあらず」とは燕雀生の独り合点なり。

文芸春秋の読者には少年の人も多かるべし。斯る読者は泥古残念帖にも誤られ易きものなれば、斯て念には念を入れて「念仁波念遠入礼帖」を艸すること然り。

大鵬生 (大正十四年四月)

完

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