十年の思い出
本文約3,100字 ・ 読了時間 約7分
あらすじ(AIが作成しました)
文学を志した経緯や処女作『貧しき人々の群』の執筆背景を振り返りつつ、作家としての創作姿勢や家庭生活との両立の難しさについて綴る。さらに、自身の文学作品に対する見解や、特定の作家への感銘、また文壇の交流に対する率直な心情を記した随筆。後半では、一連の家庭生活を総括する連作群の制作意図や、今後の創作活動への展望についても触れる。
💰 この本を応援する(投げ銭)
文芸のような無限の仕事をするものにとって、十年という月日は決して長いものではありません、考えように依ってはほんの僅かな一瞬間に過ぎないのに。そればかりのことをいかにも大そうらしく、十年の思い出などといわれることが私はほんとに嫌いです。それに私は文壇というようなことを、余り意識に置いておりませんし、一時かなり長く仕事から遠ざかっていましたから、格好なことは何にもないのです。
私は幼い時分から、本を読むことや、ものを書くことが好きだったので、今のように専心文学をやることになった初めも、いつの間にか自分の好きな道へ進んできたというだけのことで、一度志を立てて、などいうことは少しもないのです。ですから、どういう気もなく随分早くから書いたものも相当沢山ありました。そのうちから処女作として発表されたのがあの「貧しき人々の群」でした。私が未だ女学校にいる時に書いたもので、何といっても十八の少女でしたから、自分には何が何だか、唯夢中で書いた、いわば子供の自由画と同じことなのです。勿論、子供ですからいわゆる心境物なんてことはあり得ませんし、材料は自分が見聞きしたことを色々集めて、それを克明に書いただけのものでした。これが大正五年の『中央公論』で、引つづいてぽつぽつ外国へ行くまでに六つ位発表したと思います。どれもなかり枚数の多いもので、殆んど『中央公論』が主でしたが、中には『東京日日新聞』に載せた「三郎爺」などというのもありました。
「三郎爺」は軽いユーモアの味を持たせようとして、それがちっとも現れていないようなところがあって、処女作と一緒に今でも思い出して、何だか可愛らしい気がします。