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TORENDIA

「女らしさ」とは

本文約1,500字 ・ 読了時間 約4分

あらすじ(AIが作成しました)

「女らしさ」という言葉が、婦人の社会的進出を抑圧する文脈で使われる現状を論じる。参政権獲得や組合活動の場面で、保守的な視点から「女らしさ」が婦人の自律を制限する道具として持ち出される矛盾を指摘する。著者は、活発な社会参加や公然たる要求こそが女性の人間性と性を完成させる道であると説き、従来の固定観念に縛られない真の女性の美しさと強さを発揮することを提唱する。

宮本百合子

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🎧 「女らしさ」とは / 朗読音声: VOICEVOX:雨晴はう

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私たち婦人が「女らしい」とか「女らしくない」とかいう言葉で居心地わるい思いをしなくなるのはいつのことだろう。

日本の社会も、袂で顔をかくして笑うのを女らしさといったり、大事な返事をしなければならないときに口もきけなくて畳をむしるのが娘らしいという考えかたからは、ぬけて来た。しかし、何かにつけて思い出したように「女らしさ」が登場して来る。そして、それはいつも、何かのかたちで婦人の生活が社会的に一歩前進する事情に面したときである。例えば、婦人に参政権が与えられたとき、あちこちに改めて「女らしさ」がとりあげられた。立候補した婦人たちは保守的な男女の一票をとり逃すまいとしてどんなに「女はどこまでも女らしく」と強調しただろう。はた目に気の毒なほど強調して「女こそ女の苦しみがわかるのだから」と演説した。そして、当選して、開院式の折、またその他の場合とかく「女らしく」衣服のことまで話題にされた。女らしさを標語にした婦人代議士たちにしても、それはさぞうるさく迷惑なことであったろう。女は「女らしく」婦人代議士クラブというのをこしらえた。女らしく、お茶を立てて飲んだりしたが、政党間の利害は女らしさにも現実に作用して、こわれてしまった。そのとき新聞の批評は、どうであったろうか。「やっぱり女は」という表現が加えられた。共産党以外の諸政党における婦人代議士たちの立場は、あくまで女は女らしく、添えものとして扱われている。

こういう日本の古い、不親切な婦人への考えかた、感じかたは、一般女性の日常生活にもっと深刻に影響している。

参政権を得たり、組合が出来てから、若い娘が女らしくなくなった、或は女らしくなくなりはしないか、ということはどこでもいわれていることである。相当の見識をもっている人でも、これらの問題に何となく女らしさの気分をからめて取り上げる傾向があると思う。

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