私の青春時代
本文約1,900字 ・ 読了時間 約4分
あらすじ(AIが作成しました)
一九一四年から一九二四年頃の日本の中流家庭で育った少女が、人間として目覚めていく過程を綴る。当時の自由主義が成長に与えた影響や、根強く残る封建的な社会環境との関わりを描く。家事手伝いの女性たちとの交流で芽生えた正義感、女学校での教師からの圧迫、図書館での読書による孤独な対峙、そして十八歳での処女作発表から直面する創作活動と家庭生活の板ばさみという複雑な苦悩をたどり、作家としての自己形成の軌跡を振り返る。
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わたしの青春について語るとき、そこには所謂階級的なヒロイズムもないし、勤労者的な自誇もない。そこにあるのは一九一四、五年から二三、四年にかけての日本の中流的な家庭のなかで、一人の少女が次第に人間としてめざめてゆく物語があるだけである。それから、一人の少女が若い女となってゆく過程で日本の当時の自由主義がどうその成長に影響し、またつよくのこっている封建性が、どう反作用を加えたかという物語である。
いまから三十年もむかし、中流の家庭では一人二人の家事手伝いの女をもっているのが普通であった。私の育ったうちにも一人二人のそういう女中さんがいた。その頃、さんづけでよばれることはなく女中とよびすてられた。
その女中と、中流の子供たちの生活は、親が知っているよりも遙に互に近くむすばれていて、ある意味では主人と親とに対して、共通の秘密をもっていた。上流の子供には、教育ということをわきまえたおつきがつくが、中流の家庭で、女中を一人おくぐらいの経済事情のところでは地方の――福島や茨城、千葉などから働きに出て来た娘たちと、その家の子供の生活とが絡み合ってゆくのであった。
その娘たちは粗野であり、子供たちに対して自然だった。というのは、腹が立てば箒をふりまわして追っかけたし、きげんがよくて、自分もおなかがすいているときは、おはちから御飯を出して握りめしをこしらえてくれ、水がめからひしゃくで水をのむことを教えた。手ばなをかんでみせた。そして、動物の生殖について、野卑な説明を与え、むきだしに自分たちの興味を示した。書生がいるとき、子供によくわからないけれども何かを意味するいろいろの話が、子供のいるときでもされた。留守番をするながい時間、子供はそういう荒っぽい空気のなかにいる。よごされもせず、わいせつな話の意味を知らず、すがすがしく笑いながら、裏へ出て繩とびなどもしながら。