明治大正美人追憶
本文約4,200字 ・ 読了時間 約9分
あらすじ(AIが作成しました)
明治から大正期にかけての女性の美意識の変遷を辿り、時代の精神と共に変貌する女性像を論じる。近代のモダーンな美を追う潮流の未熟さを指摘し、かつての芸妓文化や維新の気風、鹿鳴館時代などの社会背景を振り返る。あわせて、特定の時代の象徴として際立った美しさや生き様を示した明治・大正期の女性たちの人物像を具体的に挙げ、美と時代の関係性や、移ろいゆく混沌とした時代の中にこそ新たな女性美が芽生える可能性を提示する。
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最近三、五年、モダーンという言葉の流行は、すべてを風靡しつくして、ことに美女の容姿に、心に、そのモダンぶりはすさまじい勢いである。で、美女の評価が覆えされた感があるが、今日のモダンガールぶりは、まだすこしも洗練を経ていない。強烈な刺戟は要するにまだ未熟で、芸術的であり得ないきらいがある。つねに流行は、そうしたものだといえばそれまでだが、デパートメントの色彩で、彼女らはけばけばしい一種のデコレーションにすぎない。
さて振りかえって過ぎ越しかたを見る。そこにはいつも、一色の時代の扮飾はある。均一の品の多いのは、いつの世とてかわりはないが、さすがに残されるほどのものには、各階級を支配し、代表した美がある。尤も現代の理想は、差別を廃し、平等となる精神にある。とはいえ、根本は一つでありながら、美と善とは両立せねばならぬ。そして生れながらにして、美を心に、姿に授けられたものは、砂礫のなかのダイヤモンド、生るにけわしき世の、命の源泉として、人生を幸福にするものといえる。
かつて、「現代女性の美の特質」とて、大正美人を記した中に、あまりに世の中の美人観が変ったとて、「現代は驚異である」とわたしは言っている。現代では、度外れということや、突飛ということが辞典から取消されて、どんなこともあたりまえのこととなってしまった、実に「驚異」横行の時代であり、爆発の時代である。各自の心のうちには空さえも飛び得るという自信をもちもする。まして最近、檻を蹴破り、桎梏をかなぐりすてた女性は、当然ある昂りを胸に抱く、それゆえ、古い意味の(調和)古い意味の(諧音)それらの一切は考えなくともよしとし、(不調和)のうちに調和を示し、音楽を夾雑音のうちに聴くことを得意とする。女性の胸に燃えつつある自由思想は、(化粧)(服装)(装身)という方面の伝統を蹴り去り、外形的に(破壊)と(解放)とを宣告し、ととのわない複雑、出来そくなった変化、メチャメチャな混乱、――いかにも時代にふさわしい異色を示している――と語っている。