沙漠の花
本文約950字 ・ 読了時間 約2分
あらすじ(AIが作成しました)
堀辰雄から贈られた作品集に触発され、文体に対する憧憬と思索を綴る随筆。著者は自身の心を映し出す澄んだ文体を追求し、創作に生きる覚悟を確かめる。リルケやフローベールの言葉を引き合いに、人生における孤独と創作の意義を省みる。やがて死を意識しつつも、荒涼とした現実に耐えながら、心に懐かしいものを滲ませることこそが自身の使命であるという決意を静かに書き留める。
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堀辰雄氏から「牧歌」といふ署名入りの美しい本を送つて頂いた。私は堀さんを遠くから敬愛するばかりで、まだ一度もお目にかかつたことはないのだが、これは荒涼としたなかに咲いてゐる花のやうにおもはれた。この小作品集を読んでゐると、ふと文体について私は考へさせられた。
明るく静かに澄んで懐しい文体、少しは甘えてゐるやうでありながら、きびしく深いものを湛へてゐる文体、夢のやうに美しいが現実のやうにたしかな文体……私はこんな文体に憧れてゐる。だが結局、文体はそれをつくりだす心の反映でしかないのだらう。
私には四、五人の読者があればいゝと考えてゐる。だが、はたして私自身は私の読者なのだらうか、さう思ひながら、以前書いた作品を読み返してみた。心をこめて書いたものはやはり自分を感動させることができるやうだつた。私は自分で自分に感動できる人間になりたい。リルケは最後の「悲歌」を書上げたときかう云つてゐる。
「私はかくてこの物のために生き抜いて来たのです、すべてに堪へて。すべてに。そして必要だつたのは、これだつたのです。ただしこれだけだつたのです。でも、もうそれはあるのです。あるのですアーメン」
かういふことがいへる日が来たら、どんなにいいだらうか。私も……。
私は私の書きたいものだけ書き上げたら早くあの世に行きたい。と、こんなことを友人に話したところ、奥野信太郎さんから電話がかかつて来た。
「死んではいけませんよ、死んでは。元気を出しなさい」
私が自殺でもするのかと気づかはれたのだが、私についてそんなに心配して頂けたのはうれしかつた。
「私はまるでどことも知れぬ所へゆく為に、無限の孤独のなかを横切つてゐる様な気がします。私自身が沙漠であり、同時に旅人であり、駱駝なのです」と、作品を書くことのほかに何も人生から期待してゐないフローベールの手紙は私の心を鞭打つ。