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TORENDIA

村々の祭り

本文約10,200字 ・ 読了時間 約21分

あらすじ(AIが作成しました)

大阪周辺の夏祭りをめぐる習俗やその歴史的背景、および村々の祭礼が持つ構造的な変遷を論じる。祇園囃子やだいがく(鉾)の伝承に見られる地域の氏神との結びつきを紐解き、禊ぎや神楽から発展した祭りの語原や、秋の早稲の新嘗祭と冬の鎮魂祭が重なり合う農村行事の古層を考察する。また、季節の変わり目に訪れるまれびととしての神や精霊との交渉、および田楽や鬼の出現に繋がる諸儀礼の系譜を詳細に綴る。

折口信夫

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一 今宮の自慢話

ことしの夏は、そんな間がなくて、とう/\見はづして了うたので、残念に思うてゐる。毎年、どつかで見ない事のない「夏祭浪花鑑」の芝居である。音羽屋と言ふ人の、今度久しぶりで、院本に拠つた団七九郎兵衛は、見たかつたけれども、今更どうにもならない。でも、其演出は原作に忠実であつたと言ふだけに、一个処見て置きたい場面があつた。「祇園囃しの祭りの太鼓。ちようや、ようさ。ようさや、ちようさ。……」かう言ふ調子づいた原文の、祭りの日の気分の写生が、十分に出たかどうかゞ触れて見たかつたのである。どうも、あれを思ひ出させられると、たまらない。大阪で少年期を過して、今、四五十になつて居る人たちの胸は、底からゆすり揚げられる気がする。義平次殺しの日は難波祭りらしく書いてあるが、私の育つたのは、おなじ「八阪さま」を祀つても、社は別々の隣村であつた。でも、日もおなじければ、曳く飾り山もおなじだいがくと言ふ大きな鉾であつた。此だいがくは、大阪南方の近在では皆舁いたものらしいが、最後まで執著を残してゐたのは、私の生れ里であつた。何でも五六年息まつて居て、最後に舁いたのが、日露戦争の済んだ年であつたと思ふ。

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