千世子
本文約82,200字 ・ 読了時間 約165分
あらすじ(AIが作成しました)
田舎で暮らす裕福な家庭の娘・千世子は、豊かな感受性を持ち、読書や思索に耽る日々を送っている。周囲の男性たちとの交流の中で、特に年上の工学士・Hに対し特別な同情と親愛を抱くようになる。両親や従兄の源さんに見守られながら、千世子は自身の内に秘めた崇高な理想や、恋という感情に対する独自の哲学を抱き、悩み葛藤しながらも自らの生き方を模索していく。平穏に見える日常の中で、若き男女の感情が交錯し、未来への期待と不安が静かに展開される。
リクエストが集まると、作家に音声化の需要が伝わります。
💰 この本を応援する(投げ銭)
(一)
一足門の外に出ればもう田があきるまで見渡たせるほど田舎めいた何の変化もない、極うすい水色の様な空気の山の中に千世子の一家はもう二十年近く住んで居る。子煩悩な父親、理性的な母親は二人ながら道徳の軌道を歩みはずすまいとして神経質になって居るほどで又、それをするほど非常識でも感情的でもない。両親ともに書も歌や詩や文も達者で、父親は彫刻まで上手に若いうちはし、人にも見せられるスケッチさえもって居た。ごく古典的なところと此の上もない新らしさの入りまじった生活を長い間つづけて来た千世子の家庭は人々の思想もとうていはたからは想像さえ出来ないほど複雑なものであった。
感情的な我ままな想像を思いもよらないところにする頭をもった千世子は、その二親と召使共にかこわれて贅沢な思い上った様な暮しをして居る。
八畳の部屋の三方を本箱の城壁を築いてダンテの像を机の上に、孔雀の羽根首人形歌麿の絵を飾ってそうした中にゆっくりした籐椅子に頭をもたせて千世子は暇さえあれば読んだり書いたり考えたりして居た。なりふりに一寸もかまわない様で居ながら、すききらいの多い、こみいった気持をもった千世子は時々どうしていいかわからなくなるほどすぎてしまった古い事をなつかしがったりどんなに努力しても千世子なんかには分らないにきまって居る哲学的の事を思いなやんだりして両親からは妙な子だと云われながら自分で自分の心を信じて深いたくらみのある様にうす笑をしたりして居た。千世子はどっちかと云えば、ずんぐりのわりに顔の太って居ない男の様な額と神経質な眼、爪のやたらに小さい手を持って居る。顔の変化のやたらに目立つのがくせだけれ共笑う時にはいつでも顔いっぱいに笑う女だった。気にしないと云うわけではなくっても髪なんかをそんなにかまわない、いつでもまん中から両わきに分けた髪に結って居る。あんまり仰山な着物より気のきいた柄の銘仙の上に縮緬の羽織をかけたのが一番気持がいいと口ぐせに云って、お召のあのしんなりした肌ざわりをすいて居た。
人ぎらいのしない千世子のまわりには沢山の人達がよったりはなれたりして居た。