朝の話
本文約2,400字 ・ 読了時間 約5分
あらすじ(AIが作成しました)
豊年の秋を迎えた日本の朝の情景を背景に、日常の些細な思索がいかに民主的な社会の輿論形成において重要であるかを綴る。日々の生活の中での買い物や娯楽に対する個々の判断こそが文化的水準を反映しており、それらを大げさに難しく考えず、等身大の率直な見解として大切にすることを提唱する。また、過去の苦い記憶や社会状況を踏まえ、一人ひとりが自発的に考える力を信じ、生活に根ざした意見を出し合うことの意義を論じる随筆である。
💰 この本を応援する(投げ銭)
一、今年は珍しく豊年の秋ということで、粉ばかりの食卓にも一すじの明るさがあります。
一、けさも又早い時間にお話をすることになりました。が、この時間の放送に何か理屈っぽい、云ってみれば教養めいたお話をするということがいつもそぐわなく感じられます。
一、どんな方でも、朝おきてさてこれから一日の活動にとりかかろうと、その気持で食卓にも向い身じたくもととのえるとき、其々御自分として何か一日の計画をもたない方があるでしょうか。
一日の計は朝にあり、と世界中で云いふるされています。
一、そうだとすれば、あらゆる方々が御自分の一日の計をもって充実した気分を保とうと希んでいらっしゃるとき、わきから思ってもいなかった話を注ぎこまれるというのは愉快なことでしょうか。むしろ、落ついて心持のよい音楽でもきいて活動の準備をしたいと御思いにならないでしょうか。
一、ところで、いま、みなさまのお心にはどんなお考えがあるでしょう。実に様々であろうと思います。
一、きょうは一つ本を買おう一つ靴みがきをさせようそう思っている方もあればきょうは一つカミソリの刃を買わなければならないと思っている方もあり、きょうこそ一つあの話をものにして、と事業のことを考えている方もあるでしょう。今の瞬間に考えていられることが、きょう一日のうちにその幾らの部分実現されてゆくでしょう。
一、大体、ものを考える、ということを、私たちはこれまで大げさに、むずかしいことに思いすぎて来ていると思います。
あらゆるときに人間というものは只生きっぱなしているものではない、必ず経験していることを、心にうけとって、そこから一歩進み出た考えをまとめているものだ、ということを、知らなすぎたようです。
だからものを考える、というといつでも何かむずかしい題がつくようなことを、いかめしく考えなければならないように思って少し世馴れて来ると、考えるということを面倒くさがるのが、わたしたち、特に日本人の癖です。考えたってはじまらない。よくそう申します。そんなことを考えるのは、俺の柄じゃない。
そして、学生時代だけがものを考える時だという風になってしまいます。