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TORENDIA

旧聞日本橋

本文約18,100字 ・ 読了時間 約37分

あらすじ(AIが作成しました)

明治十二年、日本橋で生まれた著者の半生を綴る。厳格な祖母と働き者の母に育てられ、代言人である父の影響下で成長した。やがて紅葉館の経営に携わった母の苦闘を見守りつつ、自身は舞踊研究会の設立や狂言座の結成を通じて、新しい演劇や舞踊の探求に情熱を注ぐ。家庭の事情や個人的な葛藤に直面しながらも、芸術への志を抱き続け、自らの信念を貫いて生きる姿を描く回想録である。

長谷川時雨

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一

お星さまの出ていた晩か、それとも雨のふる夜だったか、あとで聞いても誰も覚えていないというから、まあ、あたりまえの、暗い晩だったのであろう。とにかく、あたしというものが生まれた。

戸籍は十月の一日になっているが、九月廿八日だとか廿九日だとか、それもはっきりしない。次々と妹弟が生まれたので、忘れられてしまったのか、とにかく、露の夜ごろ、虫の音のよいころではあるが、あいにく、武蔵野生まれでも、草の中でも、木の下でも生まれず、いたって平凡に、市中の、ある家の蔵座敷で生をうけた。明治十二年、日本橋区通油町壱番地。ちっぽけな、いやな赤ん坊だったので、何処からか帰って来て見た父は、片っぽの手にとって見てすぐ突きかえしたと、よく母が言っていた。

父には三人目の子、母には初児だが、あたしが生まれたときには、姉も兄も、みな幼死していなかった。清潔ずきで、身綺麗だった祖母に愛されたとはいえ、祖母はもう七十三歳にもなっていたので、抱きかかえての愛ではなく、そしてまた、祖母の昔気質から、もろもろのことを岨まれもしたり、そのかわりに軽薄に育たなかったという賜ものをも得た。

次へ、次へ、次へと、妹が三人、その次へ弟が二人、また妹が一人と、妹弟が増えて、七人となったが、丁度、二人ばかり妹が出来た時分のこと、コンデンスミルクを次の妹に解いてやったり、その次の子が、母親の膝の上で、大きな乳房を独りで占領して、あいている方の乳房まで、小さな掌で押えているのを見ると、あたしは涎を流して羨ましそうに眺めていたという。

二歳ぐらいの時だったのであろう、釣洋燈がどうしたことでか蚊帳の上に落ちて、燃えあがったなかに、あたしは眠っていたので、てっきり焼け死んだか、でなければ大火傷をしたであろうと、誰も咄嗟に思ったそうだが、気転のきいたものが、燃えている蚊帳の裾から、ふとんごと引出すと、そんな騒ぎはすこしも知らずに、そのまま眠りつづけていたので、運の好い子だといわれたときいた。

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