生活について
本文約4,800字 ・ 読了時間 約10分
あらすじ(AIが作成しました)
人の一生において何を為すかという明確な方向性の必要性を論じる。昨日の事柄に追われ漂うような生活を退け、理想という高塔に向かって進むべき標石となる目的を定める重要性を説く。その方向は自身の意志で選択し、自身の生を愛する心を持って選択しなければならないと主張する。生を自分のものとして力強く輝かしく生きることこそが、避けられぬ死に対しても泰然と臨める唯一の道であり、生と死の両方を自らの掌中に握る生き方を推奨する。
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人の生活には、一の方向が必要である。
生活の方向とは、云い換えれば、生活する者の頭の方向、眼の方向、従ってまた、仕事の方向などを、一緒にした総称である。更に云い換えれば、自分の一生を通じて何を為すかという、その何をの謂である。
一生を捧げて何を為そうかという、その何をが少しも定まっていない生活が世にはある。昨日は甲のことを為し、今日は乙のことを為し、明日は丙のことを為そうとする。一生の間転々として、一定の仕事に従事することが出来ない。宛も風のまにまに漂う水草のようなものである。そして一生の終りになって振返ると、結局何にもしなかったという、落寞とした気持になる。そういう人が世にはある。
私の看る所によれば、それはいけない。
本当の生活には、よい生活には、一生を通じて何を為すかということ、一生を何に捧げるかということ、それがはっきりしていなければいけない。それがはっきりとしていて初めて、偉大な仕事も為され、力強い生涯も生れてき、あらゆる困難に打勝つことも出来る。
方向の定まっていない者は歩くことが出来ない。方向の定まっていない船は進むことが出来ない。
海洋の上に在る一隻の船を想像してみる。何処をさして行くかということが一定していない時には、その船は決して何処へも行けないことになる。時折の偶然な気紛れのままに、あちらこちらに行くことはあっても、それは本当に進むのではなくて、単に彷徨し漂うのみである。而も一朝暴風雨にでも逢えば、沈没するまではそれに捲き込まれて、難を遁れ得ることは極めて少い。
人の生活に於ても、一定の方向がなければいけない。
そしてこの方向は、固より単に方向である以上、可なり範囲の広い漠然としたもので宜しい。例えて云えば、実業とか政治とか文芸とか農業とか、そういうくらいのもので宜しい。甲の会社と乙の会社とを問わないし、甲の畑と乙の山林とを問わない。実際その時々の生活状態によって、そう細かく決定されるものではない。然し大まかな一の方向は、必ず必要である。
その方向によって人の生活は、一時的の多少の曲折はあろうとも、全体としては、堂々と真直に進展してゆくことが出来る。