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TORENDIA

文学の曇天

本文約4,800字 ・ 読了時間 約10分

あらすじ(AIが作成しました)

文壇に広がる懐古的気分や、活力を欠いた自由主義の陰鬱な現状を論じる。これらの背景には、政治的・社会的な老衰からくる権力的統制のファッショ的傾向があり、それが文学の未来に対する進展力を阻害していると指摘する。文学が曇天のような閉塞した状況から抜け出し、本来の溌剌とした息吹きを取り戻すためには、文学者自身が現状の影を突き抜ける意欲を持ち、作品を通じて自らの情熱や魂を直接伝える必要があると説く。

豊島与志雄

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🎧 文学の曇天 / 朗読音声: VOICEVOX:九州そら

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近頃、文壇に懐古的気分が起ってきているのが眼につく。新聞雑誌の上に、明治時代の、或は大正初年頃の、さまざまの追憶や思い出が数多く掲載されているようである。

この懐古的気分は、どこから由来したのであろうか。

現在の吾国の文学は、その伝統が明治時代から初まったといっても、過言ではあるまい。少くとも、国民性に根ざす情意の色合を別にして、思惟の形体や表現の形式については、そう云えるであろう。吾々は半ば西洋流に物を考えるようになってしまった、というその半ばが、文学に於いてはまさしく半分だけの重要さを持つものであって、それを引去っては、文学は不具になる。

この伝統の発生時代から、相当の年月――振返って眺めるのに適宜な視距離を得るだけの年月――が経過した。そのために、明治時代の再認識が企図せられ、明治文化の研究が進められるのは、当然のことであろう。

然しながら、現在の懐古的気分は、そうした真面目な研究心の裏付を持つことが、甚だ少い。文芸を取扱う新聞雑誌に発表されてる多くの文章、追憶や思い出は、単なる昔話に終ってるのが大多数で、批判的要素の欠乏が甚だしい。全くそれは単に懐古的な気分から生れた過去のお話に過ぎない。ごく少数のものを除いて、幾多の文章や、談話会の記事など、例はいくらも挙げることが出来る。

文壇に於けるこの懐古的気分には、種々の誘因があるかも知れない。「明治文化研究」其他の真面目な研究団体からの気運の波及、明治維新以後の史実に手をつけ初めた大衆文学からの影響、実話物流行の一つの派生的な現われ、或は、近頃の名文章たる谷崎潤一郎氏の「若き日のことども」などからの影響、其他種々のものが数えらるるであろう。

然し、それらと全く性質の異った一つの誘因を、私は認める。そしてそれがこの小文の主題でもある。

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