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TORENDIA

観念的その他

本文約1,100字 ・ 読了時間 約3分

あらすじ(AIが作成しました)

日本の小説が観念的であるという批評に対し、日本人の生活にはむしろ観念が不足していると反論する。サルトルの文学を手法先行の作品と批判しつつ、その生に対する消極的な姿勢を否定する。文学は生存の讃歌であり、慾念を積極的に肯定する人生加工の態度が必要であると説く。さらに、手法を優先して小説を構築する作家たちのあり方に触れ、真の文学の在り方について論じる評論を収める。

坂口安吾

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私の小説が観念的だといふのは批評家の極り文句だけれども、私の方から言ふと、日本の小説が観念的でなさすぎる。

小説が観念的でなければならぬといふ筈はないけれども、日本人の生活には観念の生活が不足だと思はれる。観念も亦実際の生活で食慾色慾物慾、観念なしにそれらのものが野放しにされてゐるやうな生活は、その方が実在するものではない。

我々の思想生活といふものは観念によるもので、小説が「観念的」でなくてよい、といふ場合は、観念生活のあげく観念によつて観念をはぎとることができた時にのみ意味をもつものだと私は思ふ。したがつて、この意味の「観念的でない」ことは観念によつてさうなつたといふことであり、私がサルトルの「水いらず」に感心したのはその点で、フランスの恋愛小説の歴史に於ては最後の役割(現在までの。これからは更に又進歩の歴史はつゞくであらう)を果したものであつたと思ふ。

このことは又、別の意味にサルトルを解する手段ともなる。フランスの恋愛小説を歴史的に見た時には新しい手法としての意味があるが、それは一つの手法としてのことであつて、手法を差引いて何が残るか、これは疑問だ。

サルトルの生に対する消極的態度からは、私は一流の文学は生れる筈はないと信ずるもので、さういふ意味では、文学はともかく生存の讃歌、生存自体を全的に肯定し、慾念を積極的に有用善意の実用品にしようとする人生加工の態度なしに、文学の偉大なる意味は有り得ない。

サルトルが共産党員だなどゝいふのでサルトルの文学に文学以外の読み方をする日本の批評家の精神的貧困は哀れビン然たるもので、彼の文学は凡そ共産党などゝいふものではなく、非常に安易な絶望、非常に安易な欲望の否定で、あはれむべきオプチミストであるにすぎない。彼がアナーキストだといふなら話は分るが、共産党員とは、さういふ政治的救済を信じて、あの小説を書いてゐるとは、デタラメ千万、いゝ加減な話である。

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