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TORENDIA

炎天汗談

本文約1,300字 ・ 読了時間 約3分

あらすじ(AIが作成しました)

猛暑が続く夏の日、来客を迎えた筆者が、画への関わりや、十年振りに鑑賞した文楽の舞台について綴る。進歩が期待される芸術において、現状を維持し続けることの困難さと、それを支える修業の重要性を論じる。さらに、創作の実体験を欠いた軽薄な批評に対しても苦言を呈し、変わらぬ芸を保つための絶え間ない努力の価値を改めて提示する随筆である。

太宰治

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🎧 炎天汗談 / 朗読音声: VOICEVOX:波音リツ

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暑いですね。ことしは特に暑いようですね。実に暑い。こんなに暑いのに、わざわざこんな田舎にまでおいで下さって、本当に恐縮に思うのですが、さて、私には何一つ話題が無い。上衣をお脱ぎになって下さい。どうぞ。こんな暑いのに外を歩くのはつらいものです。パラソルをさして歩くと、少したすかるかも知れませんが、男がパラソルをさして歩いている姿は、あまり見かけませんね。

本当に何も話題が無くていけません。画の話? それも困ります。以前は私も、たいへん画が好きで、画家の友人もたくさんあって、その画家たちの作品を、片端からけなして得意顔をしていた事もあったのですが、昨年の秋に、ひとりでこっそり画をかいてみて、その下手さにわれながら呆れてそれ以来は、画の話は一言もしない事にきめました。このごろは、友人の作品にも、ひたすら感服するように心掛けています。

これは、画の話ではありませんが、先日、新橋演舞場へ文楽を見に行きました。文楽は学生時代にいちど見たきりで、ほとんど十年振りだったものですから、れいの栄三、文五郎たちが、その十年間に於いて、さらに驚嘆すべき程の円熟を芸の上に加えたであろうと大いに期待して出かけたわけですが、拝見するに少しも違っていない。十年前と、そっくりそのまま同じでした。私の期待は、はずれたわけですが、けれども、私は考え直しました。この変っていないという一事こそ、真に驚嘆、敬服に価すべきものではないか。進歩していない、というと悪く聞えますが、退歩していないと言い直したらどうでしょう。退歩しないという事は、之はよほどの事なのです。

修業という事は、天才に到る方法ではなくて、若い頃の天稟のものを、いつまでも持ち堪へる為にこそ、必要なのです。退歩しないというのは、これはよほどの努力です。ある程度の高さを、いつまでも変らずに持ちつづけている芸術家はよほどの奴です。たいていの人は年齢と共に退歩する。としをとると自然に芸術が立派になって来る、なんてのは嘘ですね。人一倍の修業をしなけれあ、どんな天才だって落ちてしまいます。いちど落ちたら、それっきりです。

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