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TORENDIA

島国的僻見

本文約2,600字 ・ 読了時間 約6分

あらすじ(AIが作成しました)

日本人の欧米化と文学的審美観の隔たりをめぐる論考。外国作品を日本人の感性で受容すべきという近藤経一や正宗白鳥の意見に対し、真に戯曲の本質に触れるためには外国劇の「言葉の妙味」まで深く理解し模倣の域を超えて研究すべきだと主張する。この提言をめぐり、外国文学の標準で日本文学を律しようとしているとの批判を受け、著者自身の文学的立場や、「外国かぶれ」と揶揄される風潮に対する憤りと反論を綴る。

岸田國士

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🎧 島国的僻見 / 朗読音声: VOICEVOX:もち子さん

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日本がだんだん欧米化しつゝあるといふ見方は、或る意味で肯首できるけれども、それを悦ぶものも、それを嘆くものも、もう一段高い処から見て、総ての民族が世界化しつゝあるのだと思へば、人類の超国境的進化を認めないものゝ外は、さまで、日本のみが特殊な境遇に置かれてあると信じる必要はあるまい。

事実、現代の日本人は「多少とも」英吉利人であり、独逸人であり、露西亜人であり、仏蘭西人であり、亜米利加人であるのだ。然し、それがために、だんだん日本人でなくなると思つてはいけない。

現に、「多少とも」東洋人に、乃至は日本人になりつゝある欧米人もあるやうに見受けられる。

各国の文学が、その特色よりも、共通な或る標準によつて批判され、翫味されようとする時代が来てゐる。

然しながら、まだ、それぞれの国は、その文学に、他国人の味ひ得ぬ味を保有してゐるやうである。殊に、欧米と東洋、殊に日本との間には、文学的審美観念の隔りが可なり大きい。それでも、われわれ日本人は、五十年前から較べれば、「多少とも」欧米の文学を、その国の人の如く味ひ得るやうになつてゐる。それは、前に述べたやうに、われわれ日本人が、多少とも欧米化してゐるからであらう。

近藤経一氏であつたか、ラ・デユウゼの演じた「幽霊」を観て感想を述べられてゐる中に、外国の作品はどうしてもその国の人と同じやうに味へる筈はないのだから、われわれ日本人は、日本人としての解り方でそれを味へばいゝ。外国劇の演出なども、強ひて、外国人の演出法に範を取る必要はない。といふやうな意味の事を述べてをられた。之に対し、正宗白鳥氏も賛同の意を表してをられる。

僕は、この説に全然同感はしながら、自分の経験から、一応、之に註釈をつけて置きたく思つた。余計なことだつたかも知れない。然し、丁度日本現代劇に対する不満が、此の機会に、具体的に説明できると思つたので、「横槍を一本」入れて見たのである。

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