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TORENDIA

十二月的感想

本文約1,600字 ・ 読了時間 約4分

あらすじ(AIが作成しました)

毛筆や万年筆を敬遠し、洋服やドテラに馴染めない自身の性格や生活観を綴る随筆。自分を小児のごとく感じ老人のごとく考えるという筆者が、平凡な人間への興味や「量」としての凡人の定義を説く。また、深いものを浅く見せる文学への志向や、自分自身の姿を作品に投影することへの向き合い方を考察し、作家としての仕事のあり方や人間的価値への懐疑を明示する。十二月の心象風景と共に、自身の内面的な矛盾や日常の機微を率直な言葉で描き出す。

岸田國士

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私は平生毛筆を使はない。墨をするのが面倒なのと、硯箱が場所を取るからである。それよりも第一、手が自由に動かない厄介さを知つてゐるからであらう。

私はまた万年筆を好まない。ペン先をインキ壺に浸す、あの伸びやかな気持がなく、書かれた文字の濃淡がもつ、あの特殊なリズムを失ふからである。それよりも第一、買ふしりからどこかで落して来ることがわかつてゐるからかもしれない。

私は洋服を長く著てゐることができない。外国で暮した間でも、自分の部屋へはひると、すぐに日本服に著かへた。

私はまたドテラといふものを著たいと思はない。一二年の間、冬になると家のものが著せるので著てゐたこともあるが、今年から御免蒙らうと思つてゐる。

洋服は便利だが、窮屈でいやだし、ドテラは寛いだ感じはするが、なんとなく隙だらけといふ気がして落ちつけない。

この筆法で行くと、私は何事でも中間を行く人間らしい。古典主義者たるべく、あまりに規範を厭ひ、近代主義者たるべく、あまりに刺戟を忌むといふ類ひの人間である。

そのくせ、生温い味噌汁と、灰色の空と、わけても、Je-m'en-foutiste は大禁物である。

私は性陰鬱にして、社交に慣れず、短気なれども関心薄く、夢を抱いて夢を追はうとしない。

私はまた、無作法を恐れてぎこちなくなり、殺風景を軽侮して野暮に陥つてゐる。都会に育つて都会生活のスタイルを解せず、待合とカフエエへは一人ではいれない。

私はまた、小学校の運動会を見に行つて胸をつまらせ、代議士の演説を聴いて吹き出し、経師屋が約束の日を守らなかつただけで、額に青筋を立てるのである。

私は、小児の如く感じ、老人の如く考へる。かういふと自慢のやうだが、それ故に、それ故にのみ、単純にして分別臭い。言ひ換へれば、幼稚でくどい。

私は、自分の作品で、自分自身を語らうと思つたことはない。自分の求めてゐるものを現はさうと努めてゐる。自分の求めてゐるものは、自分に欠けてゐるものである。それが自分自身を語ることになるのなら仕方がない。

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