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TORENDIA

現代劇のない日本

本文約1,200字 ・ 読了時間 約3分

あらすじ(AIが作成しました)

日本の劇場における「現代劇」の不在を断言し、その要因を論じる。歌舞伎や新派とは異なる「新劇」が演劇として貧弱な理由は、俳優の指導や勉強不足、また西洋演劇の真髄である時代の思想感情を表現する能力の欠如にあると指摘する。現代の空気を描き出すためには、時代の言葉に対する鋭敏な感性が不可欠であり、戯曲のセリフを正確に発語し、言葉の抑揚やリズムを通じて舞台のイメージを作り上げることの重要性を説く。

岸田國士

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🎧 現代劇のない日本 / 朗読音声: VOICEVOX:青山龍星

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日本中の劇場で、これまで「現代劇」をやつたことがないと云へば、確かにそこ此処から異論が出るだらうと思ひますが、私は、それでも、「日本は現代劇なし」と明言します。

その理由はかうです。

先づ、これまで、「新劇」と呼ばれてゐた、歌舞伎でも新派でもない芝居――それは概して、西洋劇の翻訳と若干の創作劇を含むものですが――は、これを脚本として見れば兎も角、舞台で観ると、「演劇」としての大切な要素を欠いてゐて、その魅力は、「わざわざ電車に乗つて、幾らかの金を払つて」観に行くためには、あまりに貧弱なのが常であります。芝居といふものは、「演劇研究者」のみが観るものではありませんから、かういふ「新劇」は、一般の好劇家にとつて、有りがたいものではありません。

ところで、かういふ「新劇」が、だんだん成長して、「演劇」としての完全な魅力を発揮すべきですが、日本では、悲しいかな、さういふ道程を踏んでゐません。これは、第一に、俳優の指導方法が悪く、第二に、俳優の勉強し方がわるいからです。云ひ換へれば、西洋劇の紹介から初めた日本の「現代劇」は、西洋演劇の「真の魅力」を、俳優の演技以外に求め過ぎたのです。

それなら、西洋演劇の真の魅力とは何かと云ひますと、勿論、「脚本」の文学的価値にもありますし、また、「演出」の近代的工夫にもありますが、それ以上に、俳優が、その時代の勝れた教養を受け、その時代の思想感情を含む生活の色調を、遺憾なく演技として表現し得る能力をもつてゐるところから来るのです。

そして、その生活の色調なるものは、その時代の「言葉」に対する鋭敏な感性によつて捉へられるものです。

日本人は、概して、さういふ感性を尊重しないやうですが、俳優は、これを無視して、時代の空気は出せませんし、戯曲家は、これなしに、現代を描くことは出来ないのです。

「芝居」に於ける「言葉」とは、広い意味で、白と科を含むのですが、科は白を補ふもので、舞台のイメージは、この二つの要素によつて、眼と耳から、観念の美しいリズムを作り出すのです。

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