本文へ移動
TORENDIA

これからの戯曲

本文約2,800字 ・ 読了時間 約6分

あらすじ(AIが作成しました)

日本の現代劇壇における戯曲のあり方を論じる。従来の客観的な事件描写や物語性重視の姿勢を問い直し、これからの戯曲が目指すべき詩的表現と、「魂の韻律」による主観的なイメージの連鎖を提唱する。また、舞台装置の変化に伴う場数の制限からの解放や、活動写真の台頭によって確立された台詞の重要性を指摘し、観る演劇から聴く演劇への転換、そして劇作家が真の芸術家として新たな構成手法を模索する必要性を説く。

岸田國士

速度
🎧 これからの戯曲 / 朗読音声: VOICEVOX:もち子さん

💰 この本を応援する(投げ銭)

1 / 4

文学の一部門たる戯曲が文学の大勢に従はない訳はない。それで「これからの戯曲」といふ問題は「これからの文学」が如何なるものであるかを解決することによつて、自ら明らかになる訳であるが、然し、それだけではまだ十分ではない。何となれば、文学の中でも、小説は小説、抒情詩は抒情詩、戯曲は戯曲で、それぞれ、ジャンル(様式)としての進化を遂げなければならないからである。故に、「これからの戯曲」は「これからの文学」なる一般特質を有つであらうと同時にその特質と並んで、別に一つの特質を示さなければならないことになるのである。

私は、与へられた問題を、かく狭義に解釈して、「これからの戯曲」が「これまでの戯曲」から、如何なる点で区別さるべきかを述べてみることにする。

先づ、それがためには、「これまでの戯曲」とはどんなものであるか、それをはつきりさせておかなければならないが、元来、旧いものといひ、新しいものといひ、その区別は批判者の立場によるものであることを注意しなければならない。私は、一方、眼を世界劇壇の大局に注ぎながら、しかもなほ自分の足を、飽くまでも日本現代の戯曲界の上に置くものである。それ故に欧米に於ては、既に「これまでの戯曲」に属するものにも、日本に於ては、十分「これからの戯曲」として認めらるべき様々の傾向があることを主張したいと思ふ。さうかといつて、これまでいろいろな機会に移入された欧米劇界の流行品が、悉く、日本に於ける「これからの戯曲」を暗示するものであるといふ考へ方にも与し難い。

そこで私は、今日、劇壇及び一般世間に通用してゐる所謂「戯曲」といふものの既成観念に対して「これからの戯曲」が、如何なる新しい道を指示するか、指示しようとしてゐるか、それだけのことを、いろいろの方面からやや具体的に列挙して見る。

岸田國士の他の作品

同じジャンルの朗読つきの本