クロムランクとベルナアルに就いて
本文約2,700字 ・ 読了時間 約6分
あらすじ(AIが作成しました)
欧洲大戦後の仏蘭西劇壇における新進作家たちの作品を論じる。ジャン・ジャック・ベルナアルの「マルチイヌ」が持つ沈黙派としての心理描写や詩的表現を検討し、その後の作家としての成熟に期待を寄せる。一方で、クロムランクによる「堂々たるコキュ」を、中世のファルスを基調としながら近代的なファンテジイを織り込んだ傑作として評価し、翻訳作業を通じて見出した作品の魅力や、言語表現上の試行錯誤について綴る。
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欧洲大戦後、即ち千九百二十年から二十三年にかけて、仏蘭西の劇壇は空前の開花期を現出し、その間に、有為な新作家が相次いで「問題になる作品」を発表した。
クロムランクの「堂々たるコキュ」と、ジャン・ジャック・ベルナアルの「マルチイヌ」とは、サルマンの「幻の魚」などと共に、当時の批評壇を賑はしたものである。
ところが、今日、これを読み返してみると、「堂々たるコキュ」の方は相変らず面白いが、「マルチイヌ」の方はどうも感心できないといふ、甚だ残念な結果を発見して、訳者たる私は、しばらく途方に暮れた。感心できないものを訳すのは実際辛いものである。殊に翻訳といふ仕事を、幾分「楽しみ」にやつてゐるものにとつては!
なぜかういふものを訳す気になつたか?
ジャン・ジャック・ベルナアルといふ二十歳そこそこの作者が「マルチイヌ」といふ作をガストン・バチイの率ゐる新興劇団「ラ・シメエル」の舞台に上せた時(一九二二年)そして、その評判が相当高く、殊に、「沈黙派」といふ演劇の一傾向が、これによつてその見本を提出したのだと知り、私はわざわざサン・ジェルマン通りの小さなバラックを訪れたものである。
そして、その時は、なるほど、かなり清新な芸術的感銘をうけて帰つた。
その後、私は、同じ作者の「旅の誘ひ」(一九二四年)といふ作を読み、そこに一段の進境と、エドモン・セエの所謂 grande ligne(大きな系統)に属する作家の素質とを感じ、ひそかに未来の大成を期待してゐた。
第一書房の全集中に、ベルナアルの代表作を加へる案に躊躇なく賛成し、「旅の誘ひ」を私が受け持つことをうつかり承諾してしまつた後、「旅の誘ひ」は、既に白水社から川口篤君の訳が出てゐる以上、二重に出す必要はないといふ理由で、第二作の「マルチイヌ」を私がやる決心をしたわけである。
決心をして、取りかかつてみると、どうも最初上演の時得たやうに清新な感銘は得られない。のみならず、あの妙に「中学生の演説」然たる調子が鼻につき、沈黙派とは、結局、「思はせぶり第一」に過ぎないやうな気がして、少々、こつちが照れ臭くなつて来た。