「葡萄畑の葡萄作り」後記
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あらすじ(AIが作成しました)
大正十四年に出版された「葡萄畑の葡萄作り」の翻訳刊行に際し、訳者がルナアルという芸術家の風貌を伝えることを目的に、著者に関する知見や改訂の経緯を綴る。本書を「にんじん」で見せる一面とは異なる、ストイックな心境で人生と自然に微笑を送る作品として位置づけ、観察の記録という特質や、対象の真実を言葉に写し取る比喩表現の妙を論じる。巻末には、誕生から文学的軌跡までを網羅した詳細な年譜を収める。
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私はこの書物を大正十四年の一月に訳了し、同年四月に出版した。爾来、二度形を変へて世に送つたが、既刊の分は何れも絶版になつてゐるので、今また白水社の需に応じて、四度目の勤めをさせることにした。
この機会に、出来るだけ手を入れるつもりで原書ともくらべてみたが、思ひがけない誤訳もいくつか発見したし、今日までに得た原作者に関する知識で文体なども多少改める必要を感じた。要するに、翻訳といふ仕事は、手をかければかけるだけ安心できる仕事で、その点、乏しい才能を鞭撻して鞭撻し甲斐のある、凡そ唯一の文学的作業であるやうに思ふ。
最近、同じ作者の「にんじん」がいろいろな事情に恵まれて短期間に不思議なくらゐ版を重ねたのであるが、訳者は勿論、この「葡萄畑」が、「にんじん」の如く一般の口に合ふとは思つてをらぬ。たゞ、「にんじん」によつて作者ルナアルの一面を識つた読者に、更めて「葡萄畑」の一面を紹介することにより、この類ひ稀な芸術家の風貌をやゝ全面的に伝へることができたら、訳者の望は足りるのである。
「にんじん」が、彼の少年時代を苦き回顧の情を以て綴つたものとすれば、「葡萄畑」は、よりストイツクな心境を透して、人生と自然とに慎ましい微笑を送つてゐることがわかる。
浪漫的ユモリスムから古典的自然主義への進展は、彼に取つては一つの飛躍であり、転向であるとさへ思はれるのであつて、小説「にんじん」に含まれる「俗情」の意識的暴露は、ルナアルの一生を通じて、悲劇的な執拗さを示してゐるにもせよ、読者を反撥せしめるものが次第になくなつて来た。
「葡萄畑」に於て、特にわれわれを愉しませるものは、彼自ら、「幻象の猟人」と呼ぶに応しい観察の記録である。