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TORENDIA

駆ける朝

本文約3,700字 ・ 読了時間 約8分

あらすじ(AIが作成しました)

ある朝、苦労を抱える主人公は、磁石の指す北へ向かって走り出す。犬や弟妹を伴い、森を駆け抜け、偶然出くわした撮影隊に驚きながらも山を登る。方位を確かめようと迷走しつつ、目的地の公園で運動する家族と合流する。日々の重圧と戦うために無意識に駆ける主人公の、スポーツへの複雑な胸中を綴る。

牧野信一

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🎧 駆ける朝 / 朗読音声: VOICEVOX:九州そら

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「苦労」は後から後から、いくらでもおし寄せてくる。どんな風に撥ねかへし、どんな風に享けいれるか? に、思案がいるが、思案の浮んだためしがない。

――早朝に起きる。机に、十八型程の大きさの磁石が載つてゐる。文鎮の代りである。此間まで懐中時計を重しに使つてゐたが、悲しい時には、僕にはあのセコンド針の小刻みの音がとても息苦しくなるのだ――そんなことをはなしたら理学土の友達が苦笑して、これを呉れた。――「これなら安心だらう。引力の続く限り針は……」

なる程僕は、この頃はじめて此処のSとNの方向を知つた。

水々しく青葉が輝いてゐる壮麗な朝だ。

シヤツ一枚になつて、白靴を穿いて裏口から駆け出す。――針を見て、指すところのSの方向へ――と思つた。

犬が夢中で追ひ駆けてくる。真似をして妹も弟もシヤツ一枚になつて伴いてくる。牛乳配達の車がガラガラと帰つて来る街を駆け抜けて、丘をのぼる。

「S――S――S――!」

犬が吠えた。犬を呼んだのではない、方向を誤まらぬ意気添えだつたのに、あゝ彼の呼名はSだつたか! エスは有頂天になつて僕の脚にからみつかうとする。

急な坂を一息に駈け昇つてしまふ。落葉樹の森に入る。

森に育つたロバートは、森を出て、人生の行手を定めなければならなかつた――。

森――で、不図思ひ出した。誰の作で、何んな題かも忘れてゐるが。

ロバートは森を出て、山を越え、谷を渡りして、美しい海辺に行き着く。彼は妻と子と三頭の家畜と、そして一袋の金貨とを携へてキヤラバンの一行に加はる、青草の豊かな地に新しい居住地を見出すために勢ぞろひをした一隊である。彼等は出発の用意が整つて、第一の脚を踏み出さうとした時、輝いてゐる海を眺めると、洋々たる希望が胸に充ち溢れて思はず一勢に歓呼の声を挙げる! 勿論若いロバートも夢中で両手を拡げて叫んだ。

長い旅を終つて安住の地に住んだロバートが、一生を振り返つて、最上の悦びは何だつたらうと考へたが、あの海に出そろつて歓呼の声を挙げた時の爽々しさに並ぶべき悦びは決して見出されなかつた――といふ。

厭な、悲しい主題だ、御免だ! と思ふ。慌てて森を駆け抜けようとする。

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