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TORENDIA

墓地展望亭

本文約45,900字 ・ 読了時間 約92分

あらすじ(AIが作成しました)

物理学校の学生である語り手は、巴里にある喫茶店「墓地展望亭」を頻繁に訪れる。そこは墓地の全景が見渡せる静かな場所であり、語り手は常連の若い日本人男性と美しい外国人女性の夫婦に興味を抱く。後に彼らの素性を知った語り手は、かつて志村竜太郎と名乗るその男性が、リストリア国のエレアーナ王女と国境を越える逃避行の末に結ばれたという、波瀾万丈な過去と現在の穏やかな生活について聞かされる。

久生十蘭

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巴里の山の手に、ペール・ラシェーズという広い墓地があって、そのうしろの小高い岡の上に、≪Belle-vue de Tombeau≫という、一風変った名の喫茶店がある。

訳すと、「墓地展望亭」ということにでもなろうか。なるほど、そこの土壇の椅子に坐ると、居ながらにして、眼の下に墓地の全景を見渡すことが出来る。

当時、私は物理学校の勤勉な一学生で、行末、役にも立たぬ小説書きになろうなどとは夢想だにしなかったので、未来の物理学者を夢みながら、実直に学業をはげんでいた。

私が、繁々とその喫茶店の土壇に坐るようになったのは、その店が学校の通路にあったという都合ばかりではなく、「墓地展望亭」というその名の好尚の中に、なんとなく、物佗びた日本的な風趣のあることを感じ、やるせない郷愁をなぐさめるよすがにこの店を撰んだわけである。

そういう目的のためには、「墓地展望亭」はまず申し分のない場所だった。この店の客は、いずれも黒ずんだ服を着けた、物静かなひとたちばかりで、いま、花束を置いてきたばかりの墓に、もう一度名残りを惜しむためにここへやってくるのである。

悲しげな眼ざしを、絶えずそのほうへそよがせながら、しめやかに語り合う老人夫婦。卓に頬杖をついて涙ぐみながら、飽かず糸杉の小径を眺めているうら若い婦人。それから、父や母のそばでしょんぼりしている子供たち。

万事、そういう調子で、ほかの喫茶店のような喧騒さは、ここにはほとんどなく、いつも、ひっそりとしめりかえっていた。

ここの常連の中で、特別に私の心をひいた一組の若い夫婦づれがあった。男性のほうは、三十五六の、端麗な顔をした日本人で、女性のほうは、スラブ人とも見える、二十歳をやっと越えたばかりの、この世のものとも思われぬような美しい面ざしの婦人である。

二人は、毎月、八日の午後四時頃になるとやって来て、第二通路の角の大理石の墓碑に花束を置き、一ときほどここの土壇で休んでは、睦まじそうに腕を組んで帰ってゆく。

ある夏の夕方、私は墓地の中を気ままに散歩していたが、ふと、あの二人がどういう人の墓に詣でるのかと思い、廻り道をしてその墓のあるところへ行って見た。

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