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TORENDIA

古代中世言語論

本文約27,900字 ・ 読了時間 約56分

あらすじ(AIが作成しました)

奈良朝以前の文学が現代の読者にも理解できるという事実を軸に、古事記や日本書紀における古い文章の混在や日本独自の訓み方の成立を論じる。記紀の編纂や万葉集、物語文学が長い歳月を経て愛読・研究されてきた過程を辿りつつ、言語の流行や意味の変遷を考察する。さらに、平安朝の言語発達や、伊勢物語・源氏物語の用例を引いて副詞の構造と役割を分析し、日本語の歴史と文学的表現の深淵を紐解く論考である。

折口信夫

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一

我国の歴史は、やがて三千年に亘らうとして居る。其間に起つた数多くの文学が、今日の我々にも、大体は訣るといふこと、殊に奈良朝以前の文学などが訣るといふことは、どういふことであらうかと、さういふ懐疑の念を、恐らく、多くの人々は持たれた事があるに違ひない。奈良朝以前のものが、之だけ時代を経た今日の我々に、とにかくに大体に於いてでも訣るといふ事は不思議だけれども、事実訣るのである。此事実に対して、若しも根本から疑うてかゝるならば、現存の文献が、実はそんなに古くは無いものだと考へなければ、解決がつかぬことになる。併し、事実に於いて、奈良朝に、乃至それ以前に、文献はあつたのであるから、此事実の上に疑ひを置いて見るといふことは、我々の疑ひの方が怪しくなつて了ふ。それならば、何故、それが今日の我々に訣るか。言語学を少しでも、修めた者であれば、さういふ現象のあり得べきでない事を信ずるであらうが、訣ることも確かに事実なのだ。此事実は如何に解決すべきであらうか。日本は言霊の幸ふ国だから訣るのだ、といふ様な、そんな簡単なことは言つてゐられない。

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