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TORENDIA

「郭子儀」異変

本文約5,700字 ・ 読了時間 約12分

あらすじ(AIが作成しました)

柳里恭の「郭子儀」の模写をめぐり、長谷川時雨が過去の記憶を綴る。作者の生家にあったこの掛軸は、子孫繁栄や長寿を描いためでたい図として嫁入りや婿取りの宴席で重宝された。しかし、明治中期、旧弊な家憲や門閥意識が根強く残る社会状況下で、この軸を掛けた先で相次いで不本意な結婚や悲劇が起こる。作者は、軸自体に罪はないと断じつつ、盲目的な家柄重視や秘密主義の結婚が悲劇を招いた当時の世相と因習の理不尽さを回顧する。

長谷川時雨

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柳里恭の「郭子儀」の對幅が、いつのころかわたくしの生家にあつた。もとより柳里恭の眞筆ではない。ほんものならば、その頃でも萬といふ級の取引であつたらう。或はわたくしのうちにあつた、その寫しものでも今日の賣立などであつたら、矢張り萬とか千とかいふ代物であつたかも知れない。

それは、とて大幅で、書院がけとでもいふのか、もとよりわたくしの生家の、茶がかつた床の間には合ひやうもなかつた。幅二間からある本床でなければ、第一丈がたりないといつた立派さだつた。

一たい、ものが大きいから立派だとばかりはいへないが、この軸はかなり良かつた。素晴らしいとまではいはないが、たしかに立派なものだつた。子供といふものは妙な直覺があつて、巧手、下拙より何より、そのものの眞髓に觸れることがあるもので、成人の思ひつかないものをピンと掴むものだ。それが善い場合も、惡い場合も、名や格に眩惑されない。といつて、子供の鑑識眼が高いなどと歪めていふのではないから、わたくしが子供心に、放心したやうにその繪に囚はれてゐたといつても、なあんだと、笑はれてしまつては困る。だがその繪は、寫しものといふ氣品の低さは、どう思ひ出して見てもなかつたやうだ。

ところで其繪には、柳里恭とも棋園とも落款はなかつたと思ふ。柳里恭だといふのだが寫しものであるだらう。だが、高名な人のもので、しかも、かかる大幅なので、寫しものであらうといふのだが、摸寫としてもそれをうつした人は大家で、傑作だと、もとより出入りする人の追從もあつたであらうが、わたくしの家に「郭子儀」のおめでたい圖があるといふことは、近隣では知つてゐた。

ある日、興宗といふ畫家が――美術院派の畫家で、有名な「落葉」の屏風を殘した今村紫紅の兄さん――いつものやうに父とお酒を飮みながら――興宗は大酒で、父とは年齡が違ふが、うまがあふので、ちよくちよく來てはお酒びたりになつてゐた――何時かはなしが「郭子儀」の幅のことになつて、もしかするとそれは楓湖でせう。容齋先生の門にゐた若い時分、柳里恭の「郭子儀」をなんとかしたといふやうなことを言つたのを、たしか耳にしたがと言つてゐた。

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