夏の女
本文約3,200字 ・ 読了時間 約7分
あらすじ(AIが作成しました)
上布や鳴海の浴衣を着こなす夏の女たちの装いを題材に、和服の着こなしや身だしなみ、そして時代と共に変容する美意識について綴る。近松門左衛門の作品に登場する女性の情景や、歌舞伎役者が魅せた帯の結び方の妙、現代の洋装が持つ清新なリズムなどを引き合いに出し、衣服と身体の調和、年齢を重ねてもなお失われない女性の装いへのたしなみを考察する。日常の何気ない装いの中に潜む美と、衣服に生き生きとした表情を与える心構えを説く。
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一夏、そのころ在阪の秋江氏から、なるみの浴衣の江戸もよいが、上布を着た上方の女の夏姿をよりよしと思ふといふ葉書が來たことがある。ふといま、そのことを思ひだした。
上布には、くつきりした頸あし、むつちりした乳房のあたりの豐けさをおもはされる。落附いた御内室さんである。なるみの浴衣は洗ひがみの、脊のすらりとした、といつて、お尻に女らしい艶やかさをうしなはない、なで肩を思はせる。前の女は、すこしばかり耳が肉ついてゐても目立たないが、後のは、あんまり大きかつたり、平べつたかつたり、ひつついた貧弱なのだつたりしては困る。花片の散りたてのやうな清新さが耳になくてはならない。鼻には神經が見える女でも、とかく耳は留守のことが多い。生きてゐない。
男の耳はかくされる事がなくて續いて來たせゐか生々としてゐる。それが、どんな老爺さんでも、大きすぎても、厚つべつたくても、顏とおなじ調子に呼吸をしてゐる。まして若い男のは生々と動き働きかける。
耳が動くといふと猫のやうだと、若い少女は笑つてしまふかもしれなが[#「しれなが」はママ]、鬢でかくして來たくせがついて、とかく女の耳は愚圖つたらしい。大切なところであつて、その耳朶は美容にも關係するのに、晩には卷いて寢るリボン一本よりもおろそかにされはしないだらうか。
男でも女でも耳朶が赤く匂つて透いて見える時は、その人の容貌よりも、美しく目をひくことがある。むかしの女は、上布の女でもなるみの浴衣でも、その點におろそかでなかつたやうである。無論足も綺麗に、指の爪もいふまでもなく氣をつけた。
上布を着た女は、あたしの邊りにも澤山ある。それなのに、どうした事かとかく連想は近松の「心中宵庚申」の、八百屋の嫁御お千代のところへ走つてゆく。お千代ひとりが着たかのやうに――