「八島」語りの研究
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あらすじ(AIが作成しました)
屋島で行われる八島合戦を題材とした芸能や物語の変遷を論じる。能楽、幸若舞、田楽など様々な形で語り継がれる八島は、源平合戦の代表的な演目として日本の芸能に深く根付いている。本文は、語り手や伝承の背景にある宗教的な意味、英雄や祟り神の伝承との結びつき、琵琶法師や民間伝承が果した役割を考察し、なぜこれほどまでに多くの芸能の中に八島の物語が組み込まれてきたのか、その理由と歴史的な構造を多角的に分析する。
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春のはじめに、私は「八島」を語らうと思ひ立つた。ところは屋島であり、祝つて八島・矢島と言ふやうな字面を何時の代からか、用ゐ出した勝ち修羅物である。
一つは、此国の昔に戻つた気風の漲つて居る時である。一つは、白秋さんの生国柳川に近い昵み深い大江の幸若の舞の詞にも、縁の濃いもので、この親友の健康を祝賀する心には、大いに叶ふものがあると思ふのである。又私にも一つ、之を古く筆記して残しておいてくれた伊藤良吉君の上にも、吉きこと来よと祈り添へさせて貰ふ気である。
早々よい事ではないが、聴いて下さい。去る昭和八年来、友人某に貸してあつた久我家文書の中、当道・盲僧一類に関する記録文書が、おしつまつて、私の手もとに戻つて来た。長く出たまゝになつて居たので、今はその整理調査に忙しい。其中、九州一円に居た地神盲僧と称する琵琶弾き――師の房など称する――の演芸種目の中にも、此が重いものとなつて居るのが「八島」であつた。壱岐の島の師の房の生活を詳しく語つてくれた、亡き菊地武徳氏が、あの海に向つた長者原を、すこし節がゝつた言ひ廻しで、思ひ出し/\「八島」を語り乍ら歩いて行かれた俤が、今もかうしてゐると、目の前に出て来る。けれども、無念なことには、壱岐の「八島」の台本は、併しとう/\見ないでしまつた。
「八島」と言へば、直に謡の「八島」に出て来るやうに、いきなり八島合戦が語られるのだと思つてゐる人が多いかも知れない。併し其謡すら、約束通り、旅僧に対して、塩屋の翁の姿で現れたしてが語るのである。だから、場処は直接屋島ノ浦ではあるが、物語は一つの手順を越してゐる訣である。