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TORENDIA

無頼の徒の芸術

本文約4,300字 ・ 読了時間 約9分

あらすじ(AIが作成しました)

江戸時代の文学の発展と社会背景を論じる。かつて土地に縛られず巡行していた集団や無頼の徒が、時代を経て土着する過程で生じた「歌舞伎風」と呼ばれる反抗的な気風が、文学の原動力となったと考察する。また、芸能や文学を牽引した遊女、そして社会の枠組みの外で自由に出入りしていた神人や隠者といった階級の源流を探り、それらが芸能、宗教、武士階級と密接に関係しながら、日本の文学を形作ってきた歴史的経緯を紐解く。

折口信夫

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🎧 無頼の徒の芸術 / 朗読音声: VOICEVOX:雨晴はう

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我々の生活してゐる明治・大正・昭和の前、江戸時代、その前室町時代、その前鎌倉時代――その鎌倉から江戸迄の武家の時代と言ふものが、どの時代でも同じやうに思はれますが、違つてゐます。武家の生活が型をもつて来る時代、それをかためる時代があり、――武家が土地に対して執著の少い時代と、土地をはなさない時代とがあります。民族性格からは、土地を自由に考へてゐますが、これは事実は明らかで、合戦記等の生活を書いたものには、あるものが旗挙げすると、その大将が国々を歩いてゆくうちに、大勢の人がつき、最後に行つたさきで生活します。義仲が信濃を歩くと、それについて都迄這入つて、その人々は信濃には帰らないで都ではてゝしまひます。かう言ふ例が地方の豪族には多く、土民の歴史はそれを考へぬとわかりません。それがいつしか時代と共に、武家が土地に執著するやうになり、大名の国替へで擾乱を起したりしますが、幕府のその国替への政策は無謀のやうですが、それがかつての土地を自由に思つてゐた時以来の考へであり、徳川の初め以来さう考へてゐたものが、治つて来ると土地への執著と共にさうゆかなくなります。

土地をうつしてゆく武家の生活の起りはどうか。系図を見ても歴史を見ても、土著の家と言ふのはなく、皆うつゝてゐます。相州小田原の早川氏が中国に来て、小早川の家を開いてゐるやうな例がいくらでもあります。伯耆の名和氏は、懐良親王につき九州へ下つて、八代辺を根拠地としてゐ、遠く琉球迄渡つてゐます。これは武家時代に初つたのではなく、昔からその生活法が行はれてゐたのが、次第に土地に根を下すことゝなつて、今日最後迄根を下さず残つたものが、所謂山窩と言はれるものです。これはおそらく諸国を転々してゐた流民の最後です。昔、土地を確然ともつてゐる人達の外に、周囲をまはつて来る今日の山窩の如き種族が、いくつあつたかわかりません。さう言ふものに、記紀にも見えてゐる海士の民があります。それらの連衆が多く前には文学を、日本の古代生活の上に供給してゐました。その海士が自分達は文学を失つて、のんきな歌人などの間に、「あまをとめ」等と言ふ語となつて残りました。

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