本文へ移動
TORENDIA

若手歌舞妓への期待

本文約1,500字 ・ 読了時間 約3分

あらすじ(AIが作成しました)

若手歌舞伎役者の台頭を好意的に捉えつつ、彼らが直面する演目の質の低下と観客の認識のあり方を論じる。伝統芸能において、「弁天小僧」のような古風で物語性に欠ける芝居が好まれる現状に警鐘を鳴らす。演者自身が矛盾を感じるような無意義な喜劇を排し、本格的な戯曲へと導くことが、今後の歌舞伎界と役者に求められる責務であると提言する。

折口信夫

速度
🎧 若手歌舞妓への期待 / 朗読音声: VOICEVOX:九州そら

💰 この本を応援する(投げ銭)

1 / 2

歌舞妓びとも、殆完全に交替してしまつた。若手と言はれる人たちの輝き出したのは、同慶である。その輝きは、其人たちの遥か背後から照すものが多い。世間は、其為に見に行くのである。かう言つても、役者を軽んじるのではない。悲観するのも早計だし、自負するのも考へが足らぬ。今の役者自身の力だけではないと言ふことだ。

○

最近見て来た演舞場の舞台を例にとつて話して行くのが便利である。「青砥稿花紅彩画(あをとさうし・はなのにしきゑ)――弁天小僧」は歌舞妓の伝統を百年以来位に限つて見る人には、なる程、最喜ばれる狂言である。歌舞妓といへば、こんなものだと考へる人が多いのである。

だが一方、そんな平易な様式で卑俗な美ばかり感じる人だけが居る訣でもない。いつも此等の人から抽象論ではあるが、異論が出て来る。こんな古風で無意義な芸が存在してよいものか。歌舞妓を抹殺する勢ひで喚き立てるが、時が立つと必静まつて来た。併しいつか此が「地」の声になつてしまふ時が来る。其時への備へに、今からでも変化して行く外はないのである。

此は歌舞妓役者ばかりにせめてよいことではない。何よりもまづ戯曲を与へる気にならねばならぬ。此ほど貧弱な台本の演出を積み/\して、ともかくも見られる数十種の劇は、今も伝つてゐる。伝統の意味がこゝにある。歌舞妓がともかく見られるのも此故である。

○

此様に今後も生きる戯曲があり、見物大勢が支持してゐるからと言つて、其に安心してはゐられない。弁天小僧の通し狂言などは、まことにわれ人共にひそかな愉楽に耽つてゐるもので、あれで見物はちつとも進歩して行かないのである。落語寄席と芝居とは違ふ。気楽でちつとも頭を使はないでよいと言ふやうな芝居は、段々下積みにして行くのが、適当な歌舞妓の生き方であらう。

中等学歴を経た海老蔵君や梅幸君、松緑君など、あれを演じて、気をよく感じてゐることも訣るが、同時に何だかむづ/\する、そぐはないものを感じてゐるだらうと考へると、人事でない気がする。此は見物の責任に属する部分も相当に重いからである。

折口信夫の他の作品

同じジャンルの朗読つきの本