小坂部伝説
本文約3,300字 ・ 読了時間 約7分
あらすじ(AIが作成しました)
播州姫路城の天主閣に棲むという小坂部姫の伝説を巡り、その正体や由来に関する諸説を綴る随筆。歴史的な城主交代の背景と結びついた怪異譚や、古来より芝居の題材として語り継がれてきた変遷を考察する。女神説や妖狐説など定まらぬ伝承の曖昧さに着目し、自ら劇作するにあたり、あえて正体を妖麗な魔女として描いた創作の過程と思索を収める。
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わたしは帝劇のために「小坂部姫」をかいた。それを書くことに就いて参考のために、小坂部のことをいろいろ調べてみたが、どうも確かなことが判らない。伝説の方でも播州姫路の小坂部といえば誰も知っている。芝居の方でも小坂部といえば、尾上家に取っては家の芸として知られている。それほど有名でありながら、伝説の方でも芝居の方でもそれがはっきりしていないのである。
まず伝説の方から云うと、人皇第九十二代のみかど伏見天皇のおんときに、小刑部という美しい女房が何かの科によって京都から播磨国に流され、姫山――むかしは姫路を姫山と云った。それが姫路と呼びかえられたのは慶長以後のことで、むかしは土地全体を姫山と称していたのを、慶長以後には土地の名を姫路といい、城の所在地のみを姫山ということになったのである――に隠れて世を終わったので、それを祭って小刑部明神と崇めたというのであるが、それには又種々の反対説があって、播磨鑑には小刑部明神は女神にあらずと云っている。播磨名所巡覧図会には「正一位小刑部大明神は姫路城内の本丸に鎮座、祭神二座、深秘の神とす。」とある。それらの考証は藤沢衛彦氏の日本伝説播磨の巻に詳しいから、今ここに多くを云わないが、まだ別に刑部姫は高師直のむすめだと云う説もあって、わたしはそれによって一篇の長編小説をかいたこともある。しかし、小坂部――小刑部とも刑部ともいう――明神の本体が女神であるか無いかという議論以外に、その正体は年ふる狐であるという説が一般に信じられているらしい。なぜそんな伝説が拡まったのか、その由来は勿論わからない。