硝子窓
本文約4,600字 ・ 読了時間 約10分
あらすじ(AIが作成しました)
文学の道を歩む者が抱く虚無感や、実生活と文学的理想の間の埋めがたい隔絶を主題とする。著者は自らの内面に生じる空虚や、現実社会から浮き上がってしまう苦悩を省察し、文学が人生に対して間接的であるという限界に直面する。一方で、仕事に没頭する際に得られる忘我の愉悦を肯定しつつも、時に突如として襲い来る逃れようのない憂鬱や、自己の存在に対する根源的な悲しみと向き合う精神の起伏を綴る。
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『何か面白い事は無いかねえ。』といふ言葉は不吉な言葉だ。此二三年來、文學の事にたづさはつてゐる若い人達から、私は何囘この不吉な言葉を聞かされたか知れない。無論自分でも言つた。――或時は、人の顏さへ見れば、さう言はずにゐられない樣な氣がする事もあつた。
『何か面白い事は無いかねえ。』
『無いねえ。』
『無いねえ。』
さう言つて了つて口を噤むと、何がなしに焦々した不愉快な氣持が滓の樣に殘る。恰度何か拙い物を食つた後の樣だ。そして其の後では、もう如何な話も何時もの樣に興を引かない。好きな煙草さへ甘いとも思はずに吸つてゐる事が多い。
時として散歩にでも出かける事がある。然し、心は何處かへ行きたくつても、何處といふ行くべき的が無い。世界の何處かには何か非常な事がありそうで、そしてそれと自分とは何時まで經つても關係が無ささうに思はれる。しまひには、的もなくほつつきつて疲れた足が、遣場の無い心を運んで、再び家へ歸つて來る事になる。――まるで、自分で自分の生命を持餘してゐるやうなものだ。
何か面白い事は無いか!
それは凡ての人間の心に流れてゐる深い浪漫主義の嘆聲だ。――さう言へば、さうに違ひない。然しさう思つたからとて、我々が自分の生命の中に見出した空虚の感が、少しでも減ずる譯ではない。私はもう、益の無い自己の解剖と批評にはつくづくと飽きて了つた。それだけ私の考へは、實際上の問題に頭を下げて了つた。――若しも言ふならば、何時しか私は、自分自身の問題を何處までも机の上で取扱つて行かうとする時代の傾向――知識ある人達の歩いてゐる道から、一人離れて了つた。
『何か面白い事は無いか。』さう言つて街々を的もなく探しる代りに、私はこれから、『何うしたら面白くなるだらう。』といふ事を、眞面目に考へて見たいと思ふ。
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