本文へ移動
TORENDIA

女郎買の歌

本文約1,500字 ・ 読了時間 約3分

あらすじ(AIが作成しました)

誌友小集に集まった若い歌人たちが自らを「悪少年」と呼び笑い合う様子を記す一方で、雑誌に掲載された近藤元の歌集に遊郭での情景が詠まれていることに着目する。本作は、デカダンな傾向が若い歌人たちの間に浸透しつつある現状を指摘し、現代の疲労と自滅的な不健全さについて論じる時評である。

石川啄木

速度
🎧 女郎買の歌 / 朗読音声: VOICEVOX:玄野武宏

💰 この本を応援する(投げ銭)

1 / 2

『惡少年を誇稱す

糜爛せる文明の子』

諸君試みに次に抄録する一節を讀んで見たまへ。

○

しばらくは若い人達の笑聲が室の中にみちて、室の中は蒸すやうになつた。その中に頼んだ壽司とサイダーが運ばれたので、みんな舊の席へかへつた。舊の席に就いて、それから壽司とサイダーを飮み乍らまた談話が開始された。それからそれへといろ/\おもしろい話の花が咲く。瓦斯が明るく室中をてらして、かうして若い人達の並んでゐるところを見ると、そゞろに腕の鳴るのを覺える。何か新らしい事業をしたい、新らしい運動、新らしい努力を詩歌壇にやつて見たい…………さういふ念が頻りに起つて來る。

『これだけ居れば何でも出來るね』

集つてゐるところをぢつと眺めてゐた△△氏が、感に堪へたやうな聲でかう云ひ出した。期せずして同じ樣な笑聲が皆の口から出た。

『惡少年のかたまりか………』

さう誰かゞ云つた。

『惡少年』

さう誰かゞ應じてまた面白そうに笑ひ出した。

○

これは『創作』といふ短歌專門の雜誌で去月十六日誌友小集を開いた時の記事の一節で同誌八月號に載つてゐるものである。此處に所謂『惡少年』の何を意味するかは嘗て本紙に出た『滿都の惡少年』といふ記事を讀んだ人には直解るに違ひない。人の話に聞くと佛蘭西十九世紀末の頽唐派の詩人共は批評家から彼等はデカダンだと言はれた時、そいつは面白いといふので早速取つて以て自分等の一派の詩風の代名詞にしたとやら、若しそれ等の肉慾の亡者、酒精中毒者の一團が最も尊敬すべき近代的詩人の標本であるならば、この惡少年だと言はれて喜んでゐる日本の若い歌よみ達も大層偉い人達なのかも知れない。

所が同じ雜誌を讀んでゐて記者は驚いて了つた、六十八、九頁に『黄と赤と青の影畫』と題して三十四首の短歌が載つてゐる、作者は近藤元

潮なりの滿ちし遊廓にかろ/″\と われ投げ入れしゴム輪の車

潮なりにいたくおびゆる神經を しづめかねつゝ女をば待つ

新内の遠く流れてゆきしあと 涙ながして女をおこす

といふやうな歌がある、潮鳴りの滿ちし遊廓といふと先づ洲崎あたりだらう、洲崎! 洲崎! 實にこの歌は洲崎遊廓へ女郎買ひに行つた歌だつたのだ。

石川啄木の他の作品

同じジャンルの朗読つきの本