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TORENDIA

地震の時

本文約3,100字 ・ 読了時間 約7分

あらすじ(AIが作成しました)

関東大震災直後の東京を歩く筆者の記録である。灰燼と化した街の光景や、破壊された厩橋を命懸けで渡る避難者たちの姿を描く。失われた店々の名や、被災者が寄り添い生き延びる惨状を辿りながら、廃墟の中から再び萌え出す生命の力と、過酷な状況下でも失われない人間の逞しさを考察する。荒涼とした景色の中で見つけた井戸の水の冷たさに安らぎを感じつつ、悲惨な現実を超えて新しい芽が育つ希望を綴る。

田山録弥

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🎧 地震の時 / 朗読音声: VOICEVOX:もち子さん

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すさまじい光景だ。人が行く。荷馬車が行く。乗合自動車が行く。鈴生になつてゐる電車が行く。路も歪んでゐる。樹も曲つてゐる。空も三角になつて見える。何うしても立体派の絵画といふ気がした。私は草鞋穿きに脚絆といふ姿で二食の結飯を脊負つて、焼跡をそつちから此方へと歩いた。

自然の力は大きい。人間の拵へたものなどは何でもない。一応は誰でもさういふ気がするだらう? しかし夫は今の場合余りに抽象に過ぎる。さうは言ひたくない。それよりはむしろ、目をつて、この自然と人間とのいまはしい交錯をじつと見詰めてゐたい。何うしてかういふいたましい光景があるかを見詰めてゐたい。

私はこの二三年、廃墟といふことを非常に考へた。人間の滅びて行くさま、栄華の破壊されて行くさま、人の心の空虚に帰して行くさま、さういふことに絶えず眼をつた。そしてその荒凉とした廃墟の中から再び新しい芽が出て行くさまを想像した。今、それが私の眼の前にある。夢でも空想でもなしに私の眼の前にある。この焼跡の中から萠え出して来る新しい芽を想像しながら私は灰燼の中を歩いた。

一番悲惨だと思つたのは、無論、被服廠の焼跡だが、大川の岸は概して凄じい光景を呈してゐた。さういふ人達に取つては、その川は実に生死の境であつたのである。その川が一筋白く横はつてゐるために、何うすることも出来なかつたのである。私は到るところに船が焼けてその上に二三人の避難者の黒焦げになつて焼死してゐるのを眼にした。

五日目に私は厩橋をわたつた。

両国橋だけは落ちずに自動車でも何でも通るやうになつてゐたのであつたさうだけれども、私は本郷の方から行つたので、真直にそつちへと向つた。それにしても、何といふ凄じい光景だつたらう。何処を見渡しても焼野原で吹さらしの風が灰燼を飛ばして、眼も碌に明けては通れないといふありさまだつた。否、電線や電車の線は縦横に街上に焼け落ちてゐるので、注意しないと、すぐそれに引懸りさうになつた。楽山堂病院の角あたりからは、浅草の観音堂の焼残つたのがそれと指さゝれて見えた。

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