『水野仙子集』と其他
本文約3,700字 ・ 読了時間 約8分
あらすじ(AIが作成しました)
水野仙子の文学と生涯を綴る。著者は、かつて自身の家に滞在した彼女の純粋な芸術への熱中を回想しつつ、初期の作品に見られる素直な感性と、実生活との接触によって生じた後期の苦悩や変化を分析する。また、社会情勢や時代思潮に左右されることなく、芸術が人間の心や魂という本質に向かうべきであることを論じ、実生活に翻弄されながらも真摯に生き抜いた彼女の姿を静かに追悼する。
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水野仙子の集が、今度叢文閣から公にせられることゝなつた。喜ばしいことである。かの女は純粋に『文章世界』をその故郷にして、そして文壇に出て行つた人である。私は『暗い家』だの、『お寺の児』だの『徒労』などを思ひ出さずには居られない。
純な、正直な性質と、真面目な気分と、飽まで進んで行くべきところに進んで行く心と――。
私の家には、一年とはゐなかつた。五月に来て、十二月には、もう別な家を代々木の奥の、林に近いところに持つてゐた。狭い二間きりの家、松の音の常にきこえるやうな家、八ツ手の葉のバサバサする家、そこに私はかの女を置いて見ることが好きだ。無邪気の文学書生として、専念に芸術に熱中した娘として。私はその時分、よく出かけて行つては言つた。『好いぢやないか。かうして、静かに、専念に、芸術に耽り得るといふことは――。なまなか、実人生に触れるよりは、落附いてゐて、何んなに好いか知れない』
しかし、矢張、触れずにはゐられなかつた実人生であつた。私はその時かの女がもう少しさうして落附いてゐることを何んなに望んだか知れなかつた。もう少し丈夫な羽翼の生へるまでは、自分から自分を護る事の出来る力の湧き出して来るまでは――。かの女はしかし私の言ふことをきかなかつた。かの女は一目散に実人生に向つて触れて行つた。
その実人生に向つて触れて行つたことが、かの女に何ういふ影響を来したか。それを私は今此処で言はうとはしてゐない。しかし、少くとも、かの女の芸術が一時そのために頓挫したのは争ふべからざる事実であつた。実人生はかの女に取つてかなりに辛く且つ重荷であつたらしかつた。実際に触れゝば触れるほど、芸術の鏡が曇つて行くといふことは、今も昔も変るところがなかつた。
しかしかの女が、さうして一度浸つた実人生の中から、常に浮び出さう浮び出さうと心がけてゐたのは、雄々しかつた。かの女は倦まずに作を続けた。