J. K. Huys Mans の小説
本文約5,300字 ・ 読了時間 約11分
あらすじ(AIが作成しました)
J.K.HuysMansの小説における主人公Durtalは、真剣で真面目な生活を求めてラ・トラップ修道院へと入る。自身の文学者としての側面と僧侶へ傾倒する思想との間で葛藤を抱えながら、彼は修道院での生活を通じて、自らの内省が欠如していたことに気づく。豚を飼う老人の謙虚で自由な生活に触れたDurtalは、傲慢な自己の権威を捨て、真の生活を見出すために煩悶しつつも思索を深めていく。
💰 この本を応援する(投げ銭)
一
J. K. Huys Mans あたりで、フランスの新らしい文章は一変したと言はれてゐる。文体、文章などゝ言ふものは、十年の間にはいつ変るともなく変つて行くものださうだが、実際さうだと私は思つてゐる。で、私はその意味でも Huys Mans の文章を面白いと思つてゐる。
Huys Mans の文章はゾラの系統をひいてゐる。それはその出立点が其処から出発したからである。此人も矢張ルーアンの大家の書斎にはよく出かけて行つた人だが、それよりも却つてゾラの感化を受けたといふやうなところが多い。洗煉したと言ふよりも、むしろ達者で、そして細かく入つて行くといふ趣がある。ゾラがモウパッサンよりもこの人の方が豪いなどゝ言つたのも無理はないと思ふ。
Huys Mans の描法は内面にかなり深く入つてゐる。人間の心理を描く時に、会話のやうにクォテイシヨンをつかつて、そしていくらでも長く続けてゐる。紅葉の『多情多恨』の長い会話や長い独語などに似たやうなやり方をしてゐる。
それに描き方が、ある人には煩瑣にすぎると思はれるやうな細かい描写をやつてゐる。一分間の独想を二頁も三頁も書いてゐるところがある。モウパツサンの気の利いた短かい巧みなあらはし方などゝは丸で違つてゐる。その代り文字の末に捉はれないやうな長所があつて、技巧でない生気が全篇に漲つてゐるといつて好い。
二
ゾラが破産したナチュラリズムの境を頑固に守って[#「守って」はママ]、そして最後は憐れな浅薄なシンボリズムに堕ちて行つたのに比べると Huys Mans が中世紀の芸術といふところから神秘主義に入つて行つたのは、大変に面白いと思ふ。そして、それが幾らかフロオベルの歴史小説あたりから根を発してゐる様なのは一層面白い。然し、全体のトオンが最後までナチユラリズムの調子を帯びてはゐる。
フロオベルは近代小説の祖だと言はれてゐる。こゝからあらゆる流れが流れ出してゐると言はれてゐる。ナチユラリズム、ミスチシズム、シンボリズム、皆そこから泉を発してゐる。かうある批評家は言つてゐる。Huys Mans も矢張そのシンボリカルなところを受継いでゐる。