本文へ移動
TORENDIA

螢の燈台

本文約8,000字 ・ 読了時間 約16分

あらすじ(AIが作成しました)

童心から発した自然詩である童謡の本質を論じ、単純化された表現の中に宿る芸術性を説く。本書は、小著『青い眼の人形』以降に創作された多様な作品を一巻に収める。雨降りお月さんや狐の提灯など、自然現象や動物を題材に、独特のリズムや言葉遊びを交えた数多くの童謡を収録する。作者はこれらの習作を通じて、既成の知識を超越した無垢な世界である永遠の児童性を描こうと試みる。

野口雨情

🎧 まだ音声版はありません

リクエストが集まると、作家に音声化の需要が伝わります。

💰 この本を応援する(投げ銭)

1 / 10

著者より

童謡は、童心から生れる言葉の音楽であります。童心から生れる言葉の音楽が、芸術的価値があつたならば、童謡と言ふことが出来ます。

又、童謡は、童心から発した自然詩であると言ふことも出来ます。童心から発した自然詩は、純真不の芸術であります。純真不の芸術が歌謡であつたとき童謡となるのであります。

童謡は、童心より生発する言葉の音楽であり、自然詩でありますから、表現は単純化されてをります。単純化とは、複雑の究極であつて、作品の芸術価値(殊に童謡に)は、単純化か否かによつてわかるることが多いのであります。

初学のうちは、言はんとする内容の説明に急であつて、ややもすれば平面的描写に陥りやすいですが、かうしたことは、その作者に芸術眼さへあれば、練習によつて自覚的にすくはるる日が来るのであります。

単純化された表現の作品をみて、幼稚なもの、つまらないものと思ふのは、童心の欠けた人に多いのであります。カントの言はれた永遠の児童性とは、既成知識を超越した無垢の世界であつて、幼稚と思はれ、つまらないと思はれるものの中に童謡のやどりもあるのであります。

自然に直面し、自然と握手することの出来る心は、永遠の児童性であり、童心であります。童謡は童心より生発する芸術でありますから、意識的に作られることは、童謡の本質ではありません。

童謡は、飽まで歌謡のすがたを備へた童心芸術であります。

かう考へてみたとき、本書の作品があまりに不用意であることを思ふのであります。しかし本書は、小著『青い眼の人形』以後の作品を一巻としたのであるから、自分としては、不用意の作品であつても、習作上の道程として、他日の参考にもと思つてをります。

(東京郊外武蔵野村童心居にてしるす) [#改ページ]

よいよい横町

よいよい横町で

見た月は 見た月は

半分かけてた

朝の月 アノ朝の月

お空にぼんやり

出た月は 出た月は

夢みて寝ぼけた

昼の月 アノ昼の月

兎がお餅を

搗く月は 搗く月は

十五夜お月で

丸い月 アノ丸い月

雨降りお月さん

一

雨降りお月さん

雲の蔭

お嫁にゆくときや

誰とゆく

ひとりで傘

さしてゆく

傘ないときや

誰とゆく

シヤラ シヤラ シヤン シヤン

鈴つけた

野口雨情の他の作品

同じジャンルの朗読つきの本