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TORENDIA

徒歩

本文約2,200字 ・ 読了時間 約5分

あらすじ(AIが作成しました)

銭形平次の時代から明治の少女時代、さらには戦中や軽井沢での生活に至るまで、古今の人々が日常的に歩いて移動した様子を回想する随筆。歌の稽古に通った道程や、かつての野遊びの記憶をたどりつつ、習慣や気分の力によって長い距離を平気で歩いた経験を綴る。また、座っている時や寝ている時に人間が抱く思考とは対照的に、歩いている時の精神のあり方について、知人の言葉を交えながら考察を深めていく。

片山廣子

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🎧 徒歩 / 朗読音声: VOICEVOX:九州そら

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銭形平次の時代には乗物といつてもバスも電車もなく、さうむやみとお駕籠にも乗れなかつたらうから、八五郎が聞きこみをすれば、向う柳原の伯母さんの家からすぐ飛び出して神田の平次の家まで駈けてゆく。そらつと言つて平次は両国だらうが浅草だらうが吉原だらうが行つてみなければならない。歩く方に精力を使つてくたびれてしまふだらうと思はれるけれど、その時分はそれでけつこう用が足りてゐたらしい。平次が江戸で犯人の足どりを考へてゐるあひだに、八五郎は三浦三崎まで出かけて、三日三晩やすまずに容疑者の故郷を悉しく調べて帰つてくる。現代人ならば東京に帰る前につぶれてしまふところだけれど、八五郎は足に豆を拵へたぐらゐで平気でゐる。何もみんな習慣の力であらう。

銭形平次まで遡つて考へないでも、私たち明治の人間の子供時代には、大人も子供もずゐぶんよく歩いてゐた。人力車が安かつたといひながら、それはやはりぜいたくであつた。私の少女時代、土曜日のやすみに寄宿舎から二人乗りの人力に友達と二人で乗つて銀座の関口や三枝へ毛糸だのリボンだの買ひに行き、帰つてくると二人でその車代を払つて、歩いて行けるところだともつと何か買へたのね、なんてさもしい勘定をしてゐた。麻布から銀座まで往復の車代はいくらだつたか覚えてゐないが、とにかく今のハイヤー位の割合で相当なものであつたのだらう。

学校を出てから私は佐々木信綱先生の神田小川町のお宅まで、歌のおけいこや源氏物語のお講義を伺ふため一週一度づつ通つた。ずつと以前中国公使館があつたその坂の下で、永田町二丁目の私の家からは神田小川町までかなり遠かつた。朝九時ごろ人力でゆき、帰りは十二時ごろ向うを出てぶらぶら歩いて帰ると、ちやうど一時間ぐらゐになつた。小川町から神田橋へ出て、和田倉門をよこに見て虎の門へ出る、やうやく溜池の通りまで来ると、右のほそい道へまがつて山王の山すそのあの辺の道が永田町二丁目だつた。

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