茄子畑
本文約1,500字 ・ 読了時間 約4分
あらすじ(AIが作成しました)
昭和二十一年秋の茄子畑で、作物を持ち出した疑いをかけられ農家の息子から激しく叱責される年配の女性の姿を描く。物資不足による窮乏で疎開先から戻った人々が困難な生活を送る中、畑でうずくまる女性とそれを怒鳴る青年の様子を目撃した筆者は、自らも空腹の苦しさを知らない身としてその困窮に思いを馳せる。過去の出来事を回想しつつ、極限状態における人間の切実な生と、社会のあり方を静かに綴る随筆である。
💰 この本を応援する(投げ銭)
はがきを出さうと思つて、畑道を通つて駅前のポストの方に歩いて行つた。まだこの辺は家が二三軒建つただけで以前のままの畑である。夕日が真紅く空をそめて、高井戸駅の方から上り電車が走つてくる音がする。いつも通るうら道なのだが、今日はどうしたはづみか五年前のある夕方を思ひ出してしまつた。
昭和二十一年ごろの初秋であつたらうか、茄子の畑の出来事である。まだ今のやうに物資が出そろはず、たべることのためにみんなが苦労してゐる時で、疎開先から帰つて来た人たちは殊にひどいやうであつた。その夕方ちやうどこの畑を通りかかると、何か大きな声で誰かが怒鳴つてゐるので、私はびつくりして立ちどまつた。どなつてゐるのは背の高い青年で、その茄子畑の持主のこの辺で裕福な農家の息子であつた。
「年寄だつて、人を馬鹿にしてゐやがる! 食べる物がないからつて黙つて畑の物を持つてゆかれてどうなると思ふ。おれのとこだつて働いて食つてるんだ。疎開して畑荒しをおぼえて来たんだらう。もう一度来ないやうに、なぐつてやる。出て来い」と彼は怒りきつてゐたが、相手は決して出て来なかつた。茄子の畑にうづくまつて何も言はず下を向いてゐるのは年寄の女の人で(私よりはわかいと見えた)大島のモンペをはき、少しくたびれた黒ちりめんの羽織を着て、ゆうぜん更紗の買物袋を両手に押へてしやがんでゐた。その袋の中にこの騒ぎの原因がひそんでゐるのだが、彼女はそれを押へたまま動かうとしなかつた。それは愉快な景色ではないから私は急いで通り過ぎようとして、思はず青年と眼を合せた。彼は怖い顔をしてゐた。「あなた、上げてしまつて下さいな」と私は小さい声で言つて軽くお辞儀をして歩き出した。青年はもう一度声を張り上げて「さつさと帰つてくれ」と言つてるのが聞えた。彼は口では何と怒鳴つても年寄の女をなぐることの出来ない内心はギヤラントの紳士なのだ。