道教思想
本文約31,100字 ・ 読了時間 約63分
あらすじ(AIが作成しました)
支那の文化に深く浸透し、文学や民衆信仰に多大な影響を及ぼす道教について論じる。この宗教は儒教や仏教と鼎立する存在でありながら、その本質や思想を理智のみで解明することは極めて困難である。後漢末の張陵を正一派の祖とし、社会主義的な反王政的思想と神秘的な宗教性を併せ持つことで発展した。本書は道教が多元的な要素を持ち合わせ、時代の変遷とともに形を変えながら存続してきた実態を紐解き、その思想的背景や歴史的な展開を明らかにしようとする。
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支那に道教と稱せらるゝ宗教があり、道家といはるゝ師徒があつて、そして傳承年久しく其教が今に存在し、其徒が猶少からざることは、周知の事實である。盛衰隆替は何物の上にも免るべからざることであるから、現時は唐宋元明の世に比しては勢威の揚がらざる觀があるが、それでも道教道家の氣味風韵が、禹域の文學藝術を浸涵し、社會民衆を薫染してゐることは、なか/\深大であつて、儒教、佛教と鼎立して、支那文化を三分して其一を有してゐると云つても宜いほどである。此故に道教道家の氣味風韵を知らずしては支那其物を解釋することが不可能だと云ふとも、誰も否といふものはあるまい。試に士人の間に愛好さるゝ詩を觀よう。李太白の詩篇幾百十、其中ににじみ出てゐる高い感情、人生の紛紜のみに沒頭埋身することを肯んじないところのものは、道家的氣味風韵でなくて何であらう。蘇東坡や陸放翁の詩に道家の香のするのは誰も知るところである。民庶の間に愛好さるゝ小説を觀よう。水滸傳は劈頭第一に、道家の神祕を點出して、百八魔君を走らす一場を物凄じく描いてゐるではないか。紅樓夢は主人公賈寶玉が紅を憐み翠を惜むの癡情を脱し、富貴名利を弊履の如くにして、赤足に雪を踐んで大踏歩し去るところを歸結にしてゐる。道家的の味でなくて何の味であらう。演劇には滑稽化さるゝまでに道教的臭氣のするものが多いのである。宋元の畫を觀よう。人は誰しも神仙の高致が陽に陰に寫取せられてゐることが餘りにも多いのを感ぜずには居られまい。年中行事を考察しよう。彼の賑やかな上元燈華の節からはじめて道教信仰の意を有つものはもとより多い。民衆信仰の符呪祭祈祷禳祓の類、及びそれらに關する傳説等、道教から派出したもの、道教を混入せるもの、それも亦もとより多い。たゞし道教の支那に於ける、是の如く廣被弘通せるにかゝはらず、さて道教は如何なるものぞ、道教の思想は如何なるものぞ、といふ問に對しては、明白的確に答ふることは甚だ容易でない。