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TORENDIA

我が教育の欠陥

本文約2,000字 ・ 読了時間 約5分

あらすじ(AIが作成しました)

明治以降の教育制度は、科学技術や論理の習得に偏重し、人間本来の品格や情緒的な真理を軽視する弊害を生んでいる。アングロ・サクソン諸国が文明を発展させた礎には日常的な道徳心や真実を愛する品性があることを指摘し、単なる知識の蓄積に終始する教育を批判する。本書は、知的卓越よりも霊的省観を重視すべきと説き、日本古来の武勇と厳正な性格を継承し、人格形成を主旨とするあるべき教育の姿を論じる。

新渡戸稲造

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🎧 我が教育の欠陥 / 朗読音声: VOICEVOX:九州そら

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我政府が教育上に於ける施設の多大なることは否むべからず。明治年代の教育法は、維新前の教育法を継承せるものに非ずして、全く新軌道を取れるものなれば、その事業の宏大なることもまた否むべからず。この新教育制度の成功の量の大なることも、また否むべからず。されどああその成功や過ぎたり矣。今日の教育たるや、吾人をして器械たらしめ、吾人よりして厳正なる品性、正義を愛するの念を奪いぬ。一言にしていわば、これぞ我祖先が以て教育の最高目的となしたる、品格ちょうものを、吾人より奪い去りたるものなる。智識の勝利、論理の軽業、あやつり、哲学の煩瑣繊微、科学の無限なる穿究、これらはただ吾人を変えて、思考する器械たらしむるに過ぎざるものなりとせば、畢竟何の益かある。フレーベル及びヘルベルトの教育法も、もしこれらが吾人の目にある眼鏡に過ぎずして、活ける器関たらずんば、果して何の利する処かある。

吾人は智識を偶像として拝し、而して智識は情緒と提携するによりてのみ、高大なる真理を捉え得るものなることを忘る。潔くして汚れざる心は、顕微鏡よりも、はた塵塗れの書冊よりも見ること更に明かなり。

予は信ず、人の衷心、聖の聖なる裡に、神性ありて、これのみ能く宇宙間に秘める神霊を認識し、これを悟覚するを得るものなりと。物質界に於てすらも、高尚なる真理は、たとえあるいは心が明かにこれを覚知し、あるいは眼がこれを洞察し得るとも、その覚知認識する所を言語によりて伝えんとせば、必ずや困難なるを感ぜん。科学と哲学とは、けだし無限の長語を以て、この欠乏を補わんがために来れり。

予の見るところを以てすれば、科学上驚異すべき発見は、皆その発見の在るに先んじて、既に久しく人の心に覚知せられたるものなるが如し。語を変えていわば、科学は常に、人の預覚の後えに遅々として来たるものなりと。

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