西田先生のことども
本文約9,500字 ・ 読了時間 約20分
あらすじ(AIが作成しました)
西田幾多郎博士の講義の様子や思索の姿勢、またその人柄について綴る。著者自身の学生時代を振り返りながら、哲学的な探求を共にする指導者としての姿や、鋭い直観力、社会に対する情熱的な一面を描く。知識を教え込む教授風の講義とは異なり、講義を通じて哲学がいかに生み出されるかを体感させる教えや、東洋と西洋の思想を繋ぎ新たな哲学を構築しようとするその真摯な姿勢を浮き彫りにし、哲学者としての生き方を回想する。
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一
大正六年四月、西田幾多郎博士は、東京に来られて、哲学会の公開講演会で『種々の世界』という題で、話をされた。私は一高の生徒としてその講演を聴きに行った。このとき初めて私は西田先生の謦咳に接したのである。講演はよく理解できなかったが、極めて印象の深いものであった。先生は和服で出てこられた。そしてうつむいて演壇をあちこち歩きながら、ぽつりぽつりと話された。それはひとに話すというよりも、自分で考えをまとめることに心を砕いていられるといったふうに見えた。時々立ち停って黒板に円を描いたり線を引いたりされるが、それとてもひとに説明するというよりも、自分で思想を表現する適切な方法を摸索していられるといったふうに見えた。私は一人の大学教授をでなく、「思索する人」そのものを見たのである。私は思索する人の苦悩をさえそこに見たように思った。あの頃は先生の思索生活においてもいちばん苦しい時代であったのではないかと思う。その時の講演は『哲学雑誌』に発表されて、やがてその年の秋出版された『自覚に於ける直観と反省』という劃期的な書物に跋として収められたが、この本は「余の悪戦苦闘のドキュメント」であると、先生自身その序文の中で記されている。